9月18日23時2分。
静寂の中、鈴虫の涼やかな音色が、夜風とともに聴こえてくる。
ときおり、コオロギの鳴き声も重なる。
先程まで寝かしつけという騒がしさもあって、一変した空気に、より一層癒やしの音色に聴こえてくる。
今日はこの音色とともにジャーナルを綴っていきたい。
さて、今日はコロナ対策をしたうえで、祖母の卒寿のお祝いであった。
数時間前の出来事だが、振り返ってみて、このイベント1つとっても、阿世賀家という家系に流れる思想が流れており、自我形成に大きく影響を与えているのではないかと思う。
何か旅館にいくでもなく、外食にいくでもなく、いつもの家に、みんなで集まって時間を過ごす。
祖母には、今朝から立派な胡蝶蘭をはじめとした花が贈られ、喜ぶ顔があるものの、家族みんなからの手作りのメッセージカードが何より嬉しかったのだろう。
祖母には珍しく、ほんのり嬉し泣き涙を流す祖母をみると伝わってくるし、こういった姿をみて、我々もそれが何より嬉しく思うし、いまだ小さい甥っ子や姪っ子にもこういったことが気付かぬうちに影響を与えているのではないかと思う。
日中、父と母と一緒に買物をしている途中、何の文脈か忘れたが、「子は宝とはよう言うたもんやな。歳をとればとるほど感じるわ」と父が言っていたことを今思い出す。
全然話が変わるが、家族って何なのだろうと思う。
家族愛が深いがゆえに、身内贔屓のようで、家族以外に冷たくなるような感覚もあるし、でも家族への愛をそのまま広く他者への愛、多種への愛、地球への愛と繋がれると嬉しくも思う。
家族というのも、1つの概念でしかなくて、あえてそれに騙されるように家族を大事にするし、一方それも概念でしかないのだと冷めてもいたい。
それから、夜は、4人の甥姪の子育てをした。順にお風呂に入れて寝かしつけ。
特に今日の寝かしつけは本当に大変だった。たった数時間であったが、子育てされている方のリスペクトをしみじみ感じている。
もちろん楽しい面もある。
なかなか寝ない状況でも、自分のふるまい1つで確実に子どもや場に影響を与えていることを感じる。
大人とは全く違うものの、確実に影響はあって、私が率先してやりながら、ときに受容的に、ときに力強く関わったり。
その反応1つ1つがおもしろい。
とはいうものの、生きている世界観があまりにも違いすぎる。
特に普段働いているときに求める時間の流れやルールとは全く異なる。
まるで別世界にきたような感覚である。
というより、別世界にきたという感覚をもたねばできぬように思えた。
異なる世界を行き来しながら生きることが、我々大人の発達に寄与するため、私がいえる身ではなし簡単にいえるものではないが、子育てを通じて大人の方が成長させていただいているのは間違いないし、今日の父と母の言葉を借りるならば、それが何よりの宝物になっていくのだろう。
2021年9月18日の日記より