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日記「あじわい」

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今日は、父の仕事が休みとあって、父と母と朝から畑仕事に関わる。
その後、スーパーの買い物にも同行する。

私はただ同行しているだけだが、父も母も本当に嬉しそうにしている。
いつもの畑、いつものスーパーも、一緒に行く人が変わるだけでこれだけ変わるのかと。

父も母も、その気持ちを言葉にしてそのまま出してくれる。
それに作用される形で、私の心も軽やかになる。

昨日は姉がきて、私がいるだけで癒やされると言葉を残して帰っていったが、私という人間は、このような恵まれた場で育てられてきたんだなということを改めて感じ、感謝の気持ちでいっぱいになっている。

足るを知るということを深く体感したいと思うのだが、家族のことを考えると、十分に感じられる。

そんなことを思ってか、とても些細なことだが、今日スーパーで納豆を買う際、あえて賞味期限が早いものを取る自分がいた。食品ロスのことも自然と配慮して。

ほんの少しだが、家族のおかげで満たされ、利他的な行動を取れている自分を自覚した。

今リビングの机で、この日記を書きながら、となりに母が何十年も関わっているコミュニティの月刊誌が置いてあるので、手にとって見た。

意外にも心理学や哲学の大学教授や芸能人がコラムを書いていて、面白く、しばらく読んでいた。

そして、今読み終り、ふと、新しい目標が立ち現れてきた。

このコミュニティ誌に、私は母の息子ではなく、専門家として執筆依頼がきて記事を書くこと。

そうすればどれほど喜ぶだろうか。

いつも些細なことで喜び、先月一緒に料理動画を作るだけで大喜びする母が、こんなことが実現したら家宝級に大事にするのではないだろうか。

実現にあたっては、私自身のあり方や、社会的な実績や認知も含めて、まだ時間がかかるだろうが、今行う1つ1つの行動が、着実にその目標に向かっていることを感じると嬉しく思う。

こうやって今この瞬間に行う言動は、また別の意味も帯びてゆく。

2021年7月11日の日記

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