2021年の流行語にもなり、Netflix史上最高の数字となった「イカゲーム」。
昨日、今日かけてすべて見終わったので、今日はその感想を書いておきたい。
(※ネタバレ配慮してますが、敏感な方読むことお避けください)
CONTENTS
ドラマ自体の中毒性
最初これが話題になっているときき、正直残念という感覚しかない。
とはいえ、私の中にも、学生時代からカイジを始めデスゲームにハマっていたこともあり、おもしろさもめちゃくちゃわかる。
今の自分ならどう感じるんだろうかと思い、見ることにした。
まあ中毒性が見事だなと思う。
もともと映画やドラマも、自意識を支える神経ネットワークが不活性し、夢をみているのとほぼ同じ状態になるわけだが、それにしても他の映画やドラマと比べて中毒性がある。
ビジュアルも見事だし、ストーリーの展開のスピード感も抜群だし、わかりやすさと複雑さをうまく融合できてるし、飽きさせないようにゲームを進めるというメインストーリーの節目には、同時進行で別ストーリーを進められる。
このあたりのNetflixの制作ナレッジの改善サイクルがほんとすごいと思う。
お金の得方(稼ぎ方)
これみて、自分の欲と向き合って、拝見主義的な思想から抜け出そうじゃないかと、痛感する。
が、それ以上に考えさせられたのはお金の得方(稼ぎ方)。
命を奪ってまで得たお金では、満たされない心が、癒やされない傷が残るのは明白。
では、自分が命を奪ってないかというと何も言えなくなる。
これほどダイレクトならわかりよりが、因果関係の網の目がよく見えないために、お金を得て幸福感につかっているだけではないかと自覚しているからだ。
公害と小児がん、化石燃料の消費と気候変動による生物の多様性、安価な製品の存在と労働環境。
こういったことの関係性が知らないのは罪なんだと、戒めたい。
より多くのことを知らねばって。
そして、知ってるだけで自分のライフスタイルそのものを見直さなければ意味がないし、自分自身が率先してライフスタイルを変えなければならないと強く思う。
脱線するが、自分で「お金の得方(稼ぎ方)」って書いて、お金の稼ぎ方って、ちょっと表現やだなとか思う。笑 別にいいんだが。
搾取という感覚や拝見主義な匂いがする。笑
フィクションじゃない現実の経済
そして、冒頭、このドラマが残念で仕方ないと思うのは、これがフィクションじゃないと思うからだ。
さすがにドラマのように、その場で銃殺することはないが、それでも公営ギャンプルやパチンコはあるし、それによって自殺する人が大勢いる。
最新の厚労省の自殺調査みても、2020年の自殺者は2万1081人。
原因別では「健康問題」が48.3%で最多だが、第2位は「経済・生活問題」が15.2%で、3,216人が自殺してる。
この調査じゃないが、そのうちの多くが、ギャンブル依存症問題と聴いたこともある。
ギャンブル依存症は人の問題じゃなくて構造の問題だよなって、「イカゲーム」をみて本当に思う。
衝撃的なのは、「イカゲーム」のシーズン1-9で、主人公のソン・ギフンが、黒幕にこんなこと(ゲームそのもの)やっていいのか?って、訴えかけて、返ってきた答えが、
「俺は誰に対してもゲームを強要したことはない。」
確かに、「イカゲーム」のシーズン1-2で一度現実に戻ってくる。
デスゲームは強制的なものが多いが、戻ることができるという設定はちょっと新しい気かもしれない。
自分の意志で彼らはきているし、戻っても地獄だろうっていうが、それで正当化できるわけがない。
誰もがその境地になれば、心理的にいってしまうほど、人間は弱い生き物なんだから。構造そのものの問題なんですよ。
それが健全な社会とは到底言えない。
我々が生きている現実も、パチンコ市場はCOVID‑19によって5兆円減少しても、それでも約15兆円というマンモス級の市場がある。
カジノやパチンコのような市場は、なくなるべきものだ。
残念ながら日本においては、これが政治やメディアとくっついてるからかなり根深い問題。
賭博事業で、観光客増加や雇用促進による経済効果がある。インフラ整備による地域の活性化がある。
そんなことはどれも人間中心の利点しかないように思える。
近代にはいって、どれほど人間至上主義が進んでしまったか。
そんなことで稼いで、そんなことで地域が活性化して、本当に幸せだと思えるのだろうか?
それが真の人間らしい生き方っていえるのだろうか?
それを肯定することは、「イカゲーム」の世界を、経済のために正当化していることと同じじゃないかと思う。
いやもちろん違う部分があるけど、でも、因果関係が近いか遠いか、目に見えるか見えないかだけの違いで、同じ構造に私は思う。
自分が何に加担しているか?
この問題を、カジノやパチンコという賭博から、抽象度高く捉えれば、世の中からなくなるべき構造に自分が加担していないかと、自分に問いたい。
たとえば、私は畑をしているが、グリホサートやネオニコチノイド系の農薬は発ガン性があるために市場に出してはならないのに、近所のホームセンターで置かれてしまっている。
こういうのは、それを生産している企業がつくることをなくすべきであるし、我々消費者が購入してはならない。購入することは加担していることになる。
そう思うと、私がしているコーチングや組織開発の仕事さえも、どういった企業に提供して、どういった企業には提供しないのか、その規範性をより高めたいと思う。
2021年11月7日の日記より