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日記「あじわい」

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なにをもって偏った見方というのだろうか#343

時刻は23時55分。

今週末の無意識な偏見(アンコンシャス・バイアス)の研修について、資料のアップデートをしていた。

ややこしい話を講座ではしないため、ここの場で、少し出しておきたい。

改めて偏見を調べてみた。

かたよった見方・考え方。
ある集団や個人に対して、客観的な根拠なしにいだかれる非好意的な先入観や判断。

ここで、疑問に思う。

客観的とは何をもって客観なのだろうか?客観などあるのだろうか。

根拠とは何をもって根拠なのだろうか?

科学でさえも、価値中立なものがなく、可謬性があるため、その根拠の妥当性、信頼性は、信じるに値するものなのか?

非好意的とは、どの尺度をもってなのか?

ここまで疑い続けると、もはやすべて偏りだといえる。

それが善か悪か、なにかをもって偏っている、偏っていないかは、文脈によって変わる。

その文脈をどれほど多面的に洞察できているか。

ここが重要なのだろうと思う。

全知全能ではない人間では、どこまでいっても偏っている。

それでも、どれほどの多面的に洞察を得ているか。ここに私は関心がある。

時間軸的にも空間軸的にも、どこまで考慮できるか。

所詮限られているものの、少しずつ少しずつ広げたいいきたい。

2021年11月22日の日記より

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