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日記「あじわい」

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「チ。」という衝撃的な漫画と出会う#399

チ。

「チ。」という漫画を読み終えて、1時間ほどがたった。

心が震えて、動けなくなった。

泣ける漫画でもないように思うが、余韻にひたり、なぜか涙が出てきた。

自分が生きている間に、この漫画に出会ってよかった。

本漫画は、15世紀、天動説の時代に、異端とされた地動説を命懸けで研究する漫画。

漫画とは言え、ここに1つの物語がある。

私たちの触れている「知」は、多くの「血」の上に成り立っている。

あるいは、多くの命の上に、苦痛の上に、希望の上に成り立っている。

それが何千年という歴史の中で。

そう思うと、今私が触れられている知は、あまりに尊く、神聖であることを深く深く感じ、身動きがとれなかった。

そして、それは「知」だけではないことは言を俟たない。

今あるこの世のすべてがそうなのである。

なんという世界に生きているのだろう。

私はどうしてこんなにも震えているのだろうか。

今日手元にある1巻から5巻までを読んで、一貫して流れているものは

「この世界のために、命を惜しまないこと」

これに尽きるかもしれない。

漫画の中に、こんなセリフがある。

「多分、感動は寿命の長さより大切なものだと思う。だからこの場は、僕の命にかえてでも、この感動を生き残らす。」

「でもそんなものを、”愛”とも言えそうです。」

今月から、HPLのウィズダムコモンズラボのメンバーと、井筒俊彦の読書会をしている。

そこで、一貫して聴こえてくることは、

私という人間は、壮大な歴史とこの先も続く未来をふまえ、人類や地球のために思うと、実にどうでもよい存在だということ。

それと同時に、全くもって矛盾のように聞こえるが、これまでもこの先も、二度と現れない、たった1人の欠かせない存在でもあるということ。

しかし、これらは全くもって矛盾していない。

私一人のエゴに捉われることが実に虚しい。

私は、ただただ、この世界、この地球のために、すべてを捧げる。

このかけがえのない私にいただいた、使命という小さな役割を全うし、最後の息を引き取るまで、ただただ捧げるのみである。

この漫画から聴こえてくるのも、そういった感覚だ。

彼らの生き様をみて、それを感じる。

清く、尊く、美しい。

2022年2月20日の日記より

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