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日記「あじわい」

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イランで作られた「井筒俊彦」のドキュメンタリー映画The Eastern(邦訳:シャルギー(東洋人)を観て#387

先日井筒俊彦のNHKのドキュメンタリーを観た後、イランで作られた井筒俊彦のドキュメンタリー映画The Easternを購入し、ようやく届いた。

届いた瞬間、すぐに見始めた。

NHKドキュメンタリー『井筒俊彦』を観て#386

NHKドキュメンタリーとは製作者が異なることからまた違った映画になっている。

井筒先生のことを入門的に知る人には、NHKのほうがわかりやすく、コンパクトで面白くできている。

映画は専門用語も少し増えるため、やや井筒先生への関心が高い人向けになっている。

時間も130分。インタビューイーは100名以上。

また違った井筒俊彦の姿が浮かび上がってくる。

些細なことだが、井筒先生のライフスタイルも垣間見える。

たとえば、早寝早起ではなく、遅寝遅起だったとか。(今の私と同じでちょっとうれしい笑)

怒ったところを一度も見たことがないとか。

密かに関心深かったのは、イラン革命勃発のため日本に帰らざるを得なかったこと。実際のところはわからないが、もしかするとこのとき井筒先生は経済的な問題に直面していたかもしれないとのこと。

著名な大學者ではあったが、どこの大学も偉大すぎて引き受けれないと断られ、翻訳や講演をし始めた。

したかった研究の計画はとまったようだ。

とあるインタビューイーの方は、井筒さんにはもう少し政治的な面に関心を寄せて欲しかったというニュアンスがあった。

それは、井筒さんの才能を知っているからこそ、研究を続けてほしく、研究資金をもう少しうまく集められるようなこともしてほしかったということだ。

言えば当たり前だが、完璧な人間はおらず、井筒先生にも哲学的知性に秀でるが、ビジネス的な部分は全く違う知性で苦労したところが垣間見えた。とても人間らしい部分が見えたように思う。

また、映画の中で、一部ルーミーの詩が引用されていた。

ルーミーの詩も私にはわからない。

だが、そこに私が目指すものが書かれてあるような予感だけはする。

今はただ、鉱脈の所在だけを伝授されているようだ。

井筒俊彦は、イスラムに大きな影響を与えたものの、日本はそこまで知られていない。

インタビューをみるに、欧州、アメリカに至ってはほとんど知られていないようだ。

これがなんとも寂しく思う。

1993年1月7日の朝、井筒俊彦は執筆を終え、奥さんに「おやすみ」と声をかけて、寝室にて脳出血を起こし亡くなる。

最後の最後まで執筆をする。晩年の井筒先生は、地球社会の形成に向けて東洋哲学がもつ叡智を、次の時代に託そうとしていたのだろう。

さすれば、井筒先生の書籍を通じて、自分は何を受け取り、どう生きるのか。

問われているように思う。

学者のような知性は兼ね備えていないため、到底共時的構造化を紡ぐことはできないが、私なりの意識で深化させ、私なりの役割でもって、受け継ぎたい。

「ただ学問的に、文献学的に研究するだけのことではない。(中略)さらにもう一歩進んで、東洋思想の諸伝統を我々自身の意識に内面化し、そこにおのずから成立する東洋哲学の磁場のなかから、新しい哲学を世界的コンテクストにおいて生み出していく努力」

静かに私の中が熱くなっていく。

2022年1月23日の日記より

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