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日記「あじわい」

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今日はコーチングを通じて、久しぶりに強烈な体験に触れた。
(本ジャーナルはクライアントに公開許可を得ている)

クライアントは、私と親しい友人で、仕事も素晴らしい成績を出せる力強い女性。

真面目で、責任感あって、色んなことに気がつける。
そんな彼女が産後鬱になって以来、鬱による自殺者を1人でも減らしたい、救いたいとコーチを目指している。

そんな素敵な彼女も、立派なコーチになるために、どうしても自分自身で向き合わなければならないものがあるという話だった。

自分の鬱状態もあり、病院から子育てから離れてくださいと言われ、
なくなく義理の母に子どもを預けた。

まだ1歳になる娘と一緒に過ごすことができない自分が許せないし、悔しいと涙を流す。

2年の時を経て、あの時は仕方なかったと、言葉では言えていて、既に自分の過去を上手く捉えなせている部分はたくさん感じられていた。

ただ、まだ心底思えていない部分もどこかにあって、それを今回は話したいとのこと。

この話を人前で切り出し、向き合うことでもすごい勇気のいることだ。

濃厚なセッションが進み、色んな話を経て、最後は彼女なりに吹っ切ることができていた。彼女のパワーはすごかった。

あのときは最善を尽くしてたと、過去の自分を受容して、今私が生かされているのは、鬱の人を救うためなんだと、生きる意味に気付かせてくれてありがとうと力に変えていた。

本当にすごいコーチだった。

そんな彼女の強烈な人生に触れた日だが、偶然にも今日はたまたま実家から両親が私の家に来てくれた。

私自身は、まだ子どもがいないけど、今年の6月頃、母と昔話をしていたことを思い出す。自分自身の自我形成を理解するために、私の幼少期の話を思い出しながら語り合った。

色んな話をしていると、母が今になって私への子育てに対して申し訳なかったな〜って思っていると涙を流し始めた。
私は、「いやいや、そのことがあったから今の俺がいるんやで。ありがとう〜。」っと、こちらまで涙が出た。

今日のセッションといい、母との話といい、何が幸で何が不幸なんて、目の前のことで語られるものでもないし、一人間が語れるものではないなと改めて思う。

長い目でみれば、人生で無駄なことなんて1つもないし、すべてがリソースになっている。

今、私は父が育ってきた家に、1人で暮らしている。

このジャーナルを書きながら、この空間で目を瞑ると、この場所で、祖父母が一生懸命父を育てたんだろうな〜というのを感じる。

そんな父も母と一緒に、4人の子どもを一生懸命育ててくれた。

私はこれから結婚して子を育て、仕事で成果を残すなど、色々あると思うが、何か節目節目で、父と母に、二人が育ててくれたからこんな人間になれたよって伝えたい。

今年は、私の親友をはじめ、自分の周りでもたくさん子どもが生まれた。
彼らの様子を見てると、世の中は本当に愛に溢れているんだなということを感じる。

普段忘れがちになるけど、世の中にあるたくさんの愛や贈与に気付いて、それを言語化していきたい。

愛や贈与に気がついて、一言でいいから、その瞬間に感じたことを言える人間になりたい。

そうすれば、意図せずとも結果的に、私たちはより一層、鷹揚に、自由で、幸福になるだろう。

2020年12月某日の日記より
2021年2月13日

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