今朝もヨガスタジオで行った。
自転車置き場で、私より先に降りた60歳くらいおばさんが戻ってきた。
私のとなりにいる自転車の整理をするアルバイトをされている70歳オーバーのおじいさんに「はい、これ頑張ってるから」といって、温かい缶コーヒーを渡していた。
私はその光景に驚きながら建物に入り、エレベーターに乗った。
おばさんも一緒にのっている。
思わず聞いてみた。
「あの缶コーヒー渡されたおじいさんは、お知り合いの方なんですか?」
「あ、あの方ね、いや、いつもやってはるから」
といって、エレベーターから去っていった。
その後姿にカッコよく見えた。
心が温かくなった。
おじいさんは、おそらくシルバー人材センターか何かで登録してアルバイトしているのだろう。
その動きは遅くとも、この寒さの中で、駅前の駐輪場とあって、急ぎ何かに追われている現代人が自転車1つ丁寧におけない我々のために、影で支えてくれているのだ。
おばさんはそこに感謝を持ち、さらに缶コーヒーを渡すというその行動がとても尊い。
我々は当たり前のように生きているが、1人で生きることはできない。
今こうやって打っているPCも、となりにあるお水も、ボタンを押せばつく電気も、すべて当たり前のようにあるが、誰かのおかげで不自由なく過ごせている。
もっというと、今日も地球という惑星があるから生きていることができている。
おじいさんに缶コーヒーを渡すおばさんの行動から、当たり前になっているものへの感謝を思い出させてくれた。
そして思う。この思いもジャーナルを書かなければ、あじわいきれず流れてしまう。
こうやって私の内面に生起されるものすべてが、生まれては次の形へすぐかわり、一瞬一瞬に変わり続け、豊穣な1日となっている。
1つひとつの瞬間に息づく多様な現象に意識的に向き合い、1日1日を丁寧に過ごしていきたい。
2021年2月12日の日記より
2021年2月14日