スザンヌクックグロイターの発達理論を通じて、グリーン段階以上の後慣習的段階(the postconventional stage)を理解するに当たり、他の学問の探求や幅広い実践があって初めて理解できる部分が多いように感じる。
たとえば、あくまで私個人の知りうる範囲にとどまるが、いくつか例をあげていくと、
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グリーン段階
グリーン段階からは、これまで構築されたものが、個人的および文化的な条件付けと防衛的な自己欺瞞であったことを認識するところから、社会的、文化的なものを理解するためにリベラルアーツが求められる。
また自己の思考のみならず、感情や身体感覚も重要視し、自己の深層心理に対する理解も深くなることから、心理学の領域への関心も高く、マインドフルネス瞑想や身体実践にも時間をさくようになる。
多様な視点をとることから、傾聴スキルが高くなり、システムを理解するためにもシステム思考も使いこなすようになってくる。
哲学の領域も後慣習的段階以降は密接に関わってきていて、私自身の体験でも、無職期間にサルトルやフランクルをはじめとする実存主義の領域から意味を問い直すことも行って探求していた。
ティール段階
ティール段階からは、グリーンで獲得した差異を統合していく段階になる。このあたりからグリーン以上に、逆説や矛盾を認識し、より一層許容できるようになり、統合することに責任をもつようになる。
この矛盾の受容や統合への責任は、たとえば哲学の中でも一例をあげると、自由意志と決定論の論点がこのあたりのニュアンスの理解が進むように思う。
アンバーは決定論的な考えとして信仰して、多いオレンジ段階は自分の意志決定でものごとを成功させてきた経験から自由意志を信じている。
グリーンでは自由意志のみならず、何か自己を超越したものの力を改めて認識することが広がっていき、とれる空間軸、時間軸がより広がり、一人間ではどうしようもないことも多く、決定論の認識も強いがまだその矛盾を抱えている段階。
ティールになると、決定論的に「引き受ける」からこそ、なるようになるという肝が据わる要素が強くなり、今この瞬間にできることを自由意志的に行うような統合が起こるように思う。
また、他者との動的なやり取りを通じて深い自己認識を得るあたりや、スザンヌクックグロイターの自我発達理論に記載のある「無私の愛を経験する」というのも、エーリッヒ・フロムの愛するということに書かれている愛がわかりやすいし、贈与論も関連していると個人的に思っている。
ターコイズ段階
ターコイズ段階になってくると、あらゆる対象は、自我や3次元の空間、時間といった抽象概念も含めて、人間の構築物であるというところから、カント以降発展してきた認識論、存在論的な着想が多いように思う。
また非二元的な真理は、東洋思想西洋思想含め、神学あたりの理解も重要になってくる。
さらに人間の言語や意味構築行為そのものが、成長と同時に制限をするものであることを実感していることから、言語以外の表現にもより一層関心が高くなるように思う。
まとめ
ごくごく一例に過ぎないが、知識の広がりは段階があがるとともにやっぱりあって、そう考えると、圧倒的に知識が少ないと感じる。
もちろんこれらは、すべて仕事の中、家庭の中で、日常のあらゆる実践を通じて体感されて初めて理解できるものなので、実践が重要になることに変わりはない。
引き続き、じっくりゆっくり着実に知の広がりを感じながら、実践を通じて実態を掴むことを楽しんでいきたい。
2021年3月18日の日記より
2021年3月19日