Journaling

日記「あじわい」

Journalingトップ

「わかりやすさ」と「専門性」というジレンマの統合#174

有り難いことに、とある場でインテグラル理論の話をしてほしいとのことで、お話させていただいたが、こういった難解なものを伝える際、いくつかの葛藤がある。

「わかりやすさ」と「専門性(正確性)」というジレンマ。

これはインテグラル理論に限らず、哲学や思想もそうであるし、相手にとって専門外のことを伝える機会はそうなるだろう。

なるべくわかりやすくしたい。

だが、わかりやすくしすぎると、「ああこんなものか」とわかった気になられる。綺麗事に済まされることもある。本当はもっと奥深いものであるし、その探求を進めてほしい。

かといって、より専門性(正確性)を求めすぎると、相手がちんぷんかんぷんになりついていけず、結局関心がわかず、なんだったら嫌悪の対象にもなる場合もある。

本当にこれが難しい。
ただ、これも二律背反ではなく、対話をもってして統合できるような気もしている。

わかりやすさと専門性の統合

とにかく基本スタンスは、「人を見て法を説く」
相手の状況、関心、世界観にあわせる。

最初はわかりやすさをベースに、情報量は少なく、言葉も選び抜く。何を話すかより、むしろ何を話さないかを明確にする。

そして双方向のやりとりをなるべく重視して、対話でもって、相手の興味、関心、世界観を理解して、その上で正確性や専門性へ寄せていく。

構造上のとりくみ

また、対象者をスクリーニングして対象者を明確にしておく必要はある。仮に、スクリーニング外の人がはいってきたとしても、基本は対象者にそって進める。

完全対話で進めるために、資料自体も作らない、あるいは作ってもかなり絞ることも有効だろう。過去にも、結局あれば説明してしまったことがあった。

自分の深層的な問題

とはいえ、「人を見て法を説く」を体現できない自分自身の深層的な問題もいくつかある。

(1)専門的な人間だと思われたい

どこか自分の中で、専門的な人だと思われたいという欲求がある。
とくに、相手が専門的な人であればあるほど。

そうなると、私から一方向に話すことが多く、情報量も多くなる。

(2)賢い人だと思われたい

それから私のシャドーという観点でいうと、賢い人だと思われたいという欲求があるだろう。長く受験の失敗を引きずって抑圧された欲求がある。

これもわかりやすさよりも専門性に比重がよる

こんなことも気づけているだけで、十分引っ張られないふるまいはできる。

当面はこのスタンスに立ち返りたい。

2021年6月5日の日記より
2021年6月6日

アーカイブ

LOADING...