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日記「あじわい」

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母が手間暇かけて作った料理にある「儚さ」と「温かさ」#193

時刻は17時33分。実家のリビングで仕事をしていると、台所から母が作る料理の音と匂いが心地よく入ってくる。

トントントンと、包丁で刻む音。

鍋の蓋があき、ぐつぐつとに煮ている音。

何かを炒めている音。

どれも心地いい。

幼少期から感じてきたものだからか、
その音や匂いの奥に、その母の愛情を感じるからだろうか。

最近有り難いことに仕事が忙しく、ご飯を食べる時間も短くなる。
母が手間ひまかけて作った料理は、あっという間に食べて消えてしまう。

1時間かけた作ったもの、いや、買い出しからメニューを考える時間も含めて、もっと時間をかけたものが、たった5分で目の前から消えてしまう。

それでも、この「美味しかった」という体感や、
母が作ってくれたという記憶は、幸せな記憶として私の中にある。

料理は、味付けとかじゃない。

子供の頃から、今日は卒業式だから赤飯だとか、
疲れているからスタミナつくものとか、
なにか私が神経症のように肌がピクピクするというと、ナトリウムある野菜を多くしてくれたりとか、
そうやって、家族のこと、食べてくれる人を想って作ってくれている。

その気持ちが何より隠し味ではないだろうか。

昨日受けたセッションも、まだコーチングに慣れぬコーチではあったが、
私を思う気持ちは伝わって嬉しかった。

人生そのものも、わかりやすいような実績とか肩書として出せるものでなくても、どんな経験も想いをもってやれば、それが隠し味となって、深みの人間性に繋がっていて、何よりも大切なように思う。

こうやって、瞬間瞬間、私の前に立ち現れる現象は、表面上は儚くとも、その奥にあるものを感じ取れば、感謝の気持ちで温かくなる。

2021年6月25日の日記より

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