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日記「あじわい」

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他者で関わることで初めて自己に気づく#198

昨晩からお腹を壊し、今日もお腹を壊している。

どうしてだろうか。

わからないが、ここのところ忙しくなり、ヨガにあまりいけず、食事もやや適当になっている部分がある。徐々に整えていきたい。

さて、今日も終日色んなMTGを終えた。

今改めて思うことだが、他者との関わりはいかに自己発達において重要なことかを感じている。

他者と関わることで、はじめて自己を相対化、客体化できる側面があると思う。

たとえば、自分はこの内容については理解していると思っていても、Aさんが私は理解していないということを聞くと、自分の中で理解していないのかもしれないと思い始める。

他には、セッションをさせていただく際にも、シャドーを扱うと、隠れた目的、抑圧された欲求が出てきた際に、セッション終了後、自分もそうなのかもしれないと思い始める。

発達段階は、その段階に自己が埋め込まれているという表現をするが、まさにそのとおり。

抽象化すると、自分がXでいるとき、Yというものに触れることによって、自分はYではないことからXの輪郭が浮かび上がり、自分がXであることに気付ける。

こんなことがまだまだ多いように思う。

発達段階でいうと、アンバーという慣習的なふるまいは、誰しもがある。

人間には多様な発達領域があるゆえに、どれだけ特定の領域で発達していようが、自分の中に低いものもある。

慣習的で鵜呑みになっているというのは、言葉単体きくと、自分はできていると思うのは、自分が鵜呑みにしていない自分がいることを知っているからだ。

当然だが、具体的にある領域で鵜呑みにしていることには、自分では気付けない。気づけた時に、初めてこれまで鵜呑していたことに気付ける。

そう思うと、わかったつもり、できたつもりになるのが、恐ろしい。

自分で自分に気づくために、こうやってジャーナルを書いたりしているが、他者と関わり、他者からフィードバックをいただく機会は、どこまでいっても大切に思う。

空海の同行二人というのは、そういう意味でも1人の修行ではなく2人の修行が大切なのだろう。

2021年6月30日の日記より

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