今日も4人の方とセッションをさせていただいた。
どのお話も本当に有り難いお話だったと、心地よいピアノのBGMを聴きながらしっとりと感じている。
4人とも共通するならば、「終わり」というものがあった。
「終わる」ことによって初めて感じられる感覚。
1つのプロジェクトを終える。職場を辞める。病気になり命の終わりを感じる。など。
そう思うと、きちんと終えることも大事だし、終わることを意識することも大事にしたい。
ただ、このようにわかりやすい話だけではなく、実は「終わり」はたくさんある。
「アルケミスト」の言葉を借りれば、今まではそれに気がついていなかっただけ。
今日1日も、終えようとしている。
ウィルバーは、面白いことにこんな言葉を言っている。
「meditation as rehearsal for death」
瞑想は、死のリハーサル。
死ぬ時は、息を吐いて終わる。息を吸って吐くというプロセスには、生と死のダイナミクスが入っている。
息を吐く瞬間に、死を経験し、吸う瞬間に生まれている。
一瞬一瞬に生と死を体現しているのだと。
私はそこまではなかなか思えていないが、この言葉には衝撃的だった。あ〜ここまで感じ取られているのかと。
たしかに瞑想をして、呼吸をする度に、胸がふくらみ、心臓が動いていることに気がつく。普段は意識がいかない当たり前のことに気がつき、有り難い気持ちになる。
インテグラル理論の中でも発達を「死と再生」と形容されるが、死のあとに再生が待っているから、死を祝福したいと思っていたが、死そのものを認識しなければ、再生はないのかもしれない。
そう思うと、些細な死、終わりに意識を向けたく思う。
今日という一日の終わりに。
2021年7月20日の日記より