アメリカの神学者ジェームズ・ファウラーの「信仰発達理論(Stages of Faith)」について、考えをまとめたい。
まずは、ファウラーの理論を学ぶ現代の意義とは何か。私の学習動機も混ぜながら書きたい。
次に、ファウラーの理論の背景にある経験や思想を掴むために、彼の生涯や理論の系譜と立脚点について触れる。
そして、信仰発達理論についてみていきたい。
CONTENTS
ファウラーの理論を学ぶ意義
ファウラーの理論を学ぶ意義は、これ1つとっても実に多層的、多次元的なことが言えるだろう。
ゆえに、ここでは、あくまで一個人の私が感じる意義を綴りたい。
これは「ファウラーの「信仰」の今日的な意味」というジャーナルで書いたことにもなるが、
改めて私がファウラーを学ぶ動機は、大きく3つある。
1つは、カウンセラーとして、実存的な問題に直面するとき、自身の精神性が問われるからである。
クライアントが、自身の死とまではいかなくとも、倒産、離婚、親や我が子に先立たれるような大きな喪失を経験し、生きる意味があるのか?
このような実存的な状態に陥る方を目の前に直面した際、カウンセラー自身の精神性がまず問われる。
自身の精神性を涵養していくための1つとして学ぶことにした。
2つ目は、自身の全体性、社会の全体性を取り戻すためである。
1つ目と関連するが、こういった実存的な問題は、クライアントのみならず、私自身もそうであるし、この現代社会にも言えるのではないかと思っている。
これは、「身体でも心でもなく、魂の問題」というジャーナルや
コーチやカウンセラーが行うもの自体も、実は人間至上主義や成長産業社会を促進してはいないだろうか。
もちろん、人それぞれによってそれと向き合うフェーズがあったり、発達段階もあるだろう。
それでも、誰しもが、他者の痛みや地球の痛みを感じ、次の時代を生きる子どもたちの声に耳を澄ませることはできるはず。
真に全体性を取り戻すという意味で、精神性を育んでいかねばならないと思っている。
最後3つ目は、より深い人間理解、社会理解をしていきたいためである。
そのための1つとしてインテグラル理論や発達理論があり、さらにそれを深く理解するためのファウラーの理論でもある。
ファウラーの生涯と理論の系譜・立脚点
こちらは以下のジャーナルで綴った。
ファウラーの信仰を支える重要な概念
こちらも以下のジャーナルで綴った。
改めてファウラーのいう「信仰」とは何か
上記ジャーナルでも触れたが、改めて、ファウラーのいう「信仰」とは、何であるか。
一言でいえば、根源的なものへの意味付けと言えるのではないかと思う。
意味づけというと、成人発達理論を代表するようなロバート・キーガンが展開する「meaning-making」もあるわけだが、より根源的なものへの意味付けを言っている。
それは、今まで経験してきたことを包括するようなかたちで、人生とは何なのか、この世界は何なのか、生と死とは何なのか。こういった類のものへの意味づけになる。
信仰発達理論
では、そういった「信仰」がどのような段階を経て深まっていくのか、発達理論を順にみていきたい。
段階0(インフラレッド):幼児と未分化の信仰(Infancy and Undifferrentiated Faith)
0歳〜4歳。
未分化の信仰とあるように、言語を獲得していないことから、信頼、勇気、希望、愛の種が無分別に融合している。
この段階は、養育者の愛やケアを受ける相互の関係性の体験によってつくられる。その後の発達の土台(同時に土台を侵食する恐れ)となる。
この段階の危険性は、相互の関係性を獲得し損ねること。
自己中心的な支配を受けることで過剰な自己愛になったり、あるいは無視される体験から孤独に陥り相互性をうまく取得できないことなる可能性がある。
第1段階に向けては、思考や言語獲得により、話すことでシンボルを利用できるようになって始まる。
段階1(レッド):直感的・投影的信仰(Intuitive-Projective Faith)
3歳〜7歳。
直感的・投影的とあるように、この段階はイメージする力をもつ段階にある。
この頃の子どもは、身近な大人の信仰、雰囲気、行動のまねを好み、絶えず強い影響を受けている。いずれも目に見えるもので、論理的な思考はない。
また、この段階から自意識をもち、死や性、タブーを意識できる。
危険性は、恐怖や破壊といった幻想に取り憑かれることにある。
次の段階へは、具体的操作思考の出現によって起こる。
段階2(レッド):神話的・字義的信仰(Mythic-Literal Faith)
6歳〜11歳。
共同体に属する象徴的な物語、信念、習慣を自覚して身につけ始める。信念、象徴は一義的ないし字義的な意味として受け取る。
具体的操作を行えるため、段階1のイメージするようになった世界観を形あるものとして捉えることができる。
段階1で捉えた物語を語ることができるようになり、神話を描けるようになることで、経験したことを一貫性をもって見ることができるようになる。
この段階は、他者視点を正確に捉えるため、世の中を互恵的に組み立てられるようになる。普遍的な正義のもと、強い信念をもつ。
しかし、物語を振り返って内省的に考えられず、概念的な意味も扱えない。
この段階の危険性は、一義的ないし字義的に解釈することや、互恵的に過度に信頼することによって、完璧主義に陥る。
次への段階へは、物語と物語での衝突や矛盾(たとえば、創世記と進化論)によって、それらの意味を抽象的に扱う形式的操作思考で内省すること。
段階3(アンバー):合成的・慣習的信仰(Synthetic-Conventional Faith)
12歳から成人。
合成的とあるのは、家族、学校、仕事、メディアなど数多くの領域の中で、価値や情報を合成して、一貫した信仰をもつようになる。
(究極の環境(ultimate environments)をようやく組み立てられる。)
こうした信仰は、アイデンティティやものごとの見通しの基礎となる。
慣習的とあるのは、権威ある他者の期待や評価に敏感で、彼らの判断に同調したり、従いやすい傾向にある。
この段階になって、1つのイデオロギーをもつようになる。しかし、その人はそれを客体化することはなく、持っている自覚もない。
この段階の危険性は、他者の期待や評価が内面化しているために、自らの評価や行動が危険になるかもしれない。
次への段階へは、権威的なものの価値の深刻な崩壊や矛盾になる。
それらの価値はどのようにできあがってきたのか内省する。文化的な背景とどのように関わってきたかを内省する視点をとっていくこと。
段階4(オレンジ):個別化・内省的信仰(Individuative-Reflective Faith)
18歳から成人。
信仰に対する個人的な探求を始めて、批判的に内省することにより、自分に意味ある信仰形態を発達させる。
それ以前の段階では、属する共同体の信仰や、権威的な他者との対人関係によってアイデンティティや信仰を形成していた。
しかし、属する共同体と距離をとり、自己を1つの世界観として意識するようになる。
象徴を抽象的な意味に変換し、脱神話化が起きる。
この段階の危険性は、批判的な思考に過剰な自信をもつようになり、内省的な自己が過剰に現実と同化したり、他者視点を自分の世界観に同化したりすることで、段階2以来、第2のナルシシズムに至る。
次なる段階へは、この段階で作られたことの単調さ不毛さを感じ、より複雑なものを認識することで起こる。より弁証法的で、多層的な見方を獲得していくこと起こる。
段階5(グリーン):統合的信仰(Conjunctive Faith)
最低年齢30歳以上。
自分のもつ信仰の限界を感じ、現状の部分的な真実を捨てる用意ができることから、真理の相対性を認めて、自分と異なる信仰にも寛容になる。
より包括的な正義や愛の実現のために自己を捧げる。次の世代のアイデンティティや意味付けを育成する目的に人生を費やす準備ができている。
しかし、この段階はまだ統合した状態ではない。
この段階の弱点は、真実を逆説的に理解するがゆえに、麻痺したように消極性で何もしない状態に陥ったり、冷笑的に一歩引くような傾向になることもある。
段階6(ティール&ターコイズ):普遍化された信仰(Universalizing Faith)
最低年齢40歳以上。
個別の宗教や共同体の信仰の壁を乗り越え、あらゆる存在を包括するような究極の環境を感じ取れており、世界を統合し変革する力が費やされる。
社会的、政治的、経済的、理念的な束縛や耐え難い未来から解放された領域を作り出すという意味で、伝染的である。
この段階に属する人物は特別な恵みを持っている。それは澄み渡っており、素朴であるが、何とも言えない人間味を持つ。
ガンディーやマザー・テレサはこの段階以上と言われている。
7つの信仰機能(ないし信仰のサブスキル)
ファウラーが信仰の発達を評価する際、7つの機能から判断することにしている。
逆に言うと、これは、信仰のサブスキルと言えるのではないかと思う。
ファウラーは、構成主義的発達論を援用しており、ジャン・ピアジェ、ロバート・セルマン、ローレンス・コールバーグの3つの機能を援用しながら、信仰という特徴から追加で4つの機能を加えている。
(1)ジャン・ピアジェの論理
=思考、認知機能
(2)ロバート・セルマンの視点取得
=他者、社会の視点取得
(3)ローレンス・コールバーグの道徳的判断
=道徳
(4)社会的意識の境界
=自己の存在をどのように意味づけるか。
(5)権威の所在
=権威をどのように意味づけるか。
(6)世界を一貫する形式
=世界をどのように一貫したないし統合したイメージで掴むか。
(7)象徴的機能
=象徴をどのように用いるか。
これらの観点から、研究者、思想家たちが提唱してきた1つの理論をとってしても、いくつものサブスキルと相互に結びついており、相互作用しながら発達していくことがわかる。
まとめ
以上、ファウラーの信仰発達理論をみてきた。
言うまでもなく、これを見たからとて信仰、精神性に関する発達が起こるわけではない。あまたの実践をしていくことが欠かせないし、対人支援という文脈においては、ここの各セラピーが役立つ。
しかし、信仰、精神性の認知そのものを深めたり、自身の立ち位置を確認したり、ここから自身にとって必要なことが何かの洞察を得たりすることなど、非常に重要な理論といえる。
本記事は、私自身の理解にとどまっているに過ぎないが、ぜひとも直接関連書籍に触れる機会や探求の機会になれば幸いです。
2021年8月31日の日記より