「うひ山ぶみ」
なんと美しいのだろうか。
「うひ山ぶみ」、つまり、はじめての山登り。あるいは、新しい山登り。
新しい学問を学ぶことを、新しい山に登るとたとえているわけである。
この美しいタイトルは、私は惚れ惚れと魅了する。
古文を口に出して読めば、その美しさが立体的に浮かび上がってくる。
CONTENTS
そんなの関係ねえ
超訳とさえも言えないものだが、読みながら、私が本居先生と対話したのはこうである。
と、時おり気にしていた自らが晩学であることや、才能のなさを見事に打ち砕かれた。
本居先生から教わる本の読み方
最も美しく感じたのは、この文章だ。
あああ・・・美しい・・・
現代口語訳が私に合わないようですから、ここは私めが真剣に訳しますと
そう、聴こえてくるんですよ。
本は、読むんじゃないんです。聴くんです。
本が私に語りかけてくれるんです。
本が語りかけてくれないなら、それは今じゃないんですよ。
だから他の本を読んだらいいんです。
そうしているうちに、本が語りかけてくれるんです。
照らし出す
今日は門林奨さんの勉強会に参加していた。
心に残ったものは、理論は、すでにそこにあったものを照らし出すという言葉である。
そう。理論は作り出すものじゃなくて、すでにそこにあったものに気づいていくことなのだ。それを拾い上げてみたのが理論なんだ。
だから、学問というのは、すでにそこにあるものを自分の意識の上に浮かび上がらせることで、そうやって世界の深みを汲み取っていく。
そして、究極的な関心ごとは、道なのだ。
2022年2月9日の日記より