昨晩も公開コーチングという場がとても良い時間だった。
という充実感の一方で、こういった学びの場でホストする際、私の中でいつもある葛藤がある。
それは、なにかというと、参加者の疑問に対して、自分が答えることによって、相手の成長の機会の芽を摘んでいないか、ということ。
これは私自身がここまで成長してきたことを振り返っても、他者からの回答に満足することなく、時間をかけて自分でその問いと向き合い続けるというによって成長してきたということが大きい。
ただ、一方でなにかその疑問に応えたいという気持ちもある。
そして、参加者からお金を頂いているという立場になれば、その観点でも思う。
ゆえに葛藤が起きている。
これに対して、私なりにどうすればいいか、今このジャーナルをPCに打ちながら考えているのだが、何かはすぐこたえ、何かはあえてこたえず、スキャフォールディングだけして問いを残す。
これを使い分けるのが良いのだと思う。
その基準はおそらくいくつかある。
今思い浮かぶものでも、たとえば、
1つは、問いそのものが、緊急度が高かったり、調べてすぐわかるものであったり、基礎的なものであればすぐ答える。
逆に、非常に多面的であり、深いものであれば答えない。
むしろ、何か参考になる書籍をスキャフォールディングとして出したり、
問い自体を考えやすいように分解する。
もう1つは、お金をもらっている以上、その分応えるという点においては、期待値コントロールが重要になる。
ゆえに、すでにその学びの場において、答えたものが多いのであれば、満足度が高いので、今回はこれ以上こたえない。
など。他にも色々あるのかもしれない。
話が変わるが、こう書くと、私の役割というのは、問いをつくることもとても重要に思う。
これは、以前「知の構造」という日記に書いたことではあるが、
不知から知の歓びではなく、無知から不知への歓びを大事にしたい。
言うまでもなく、何かを学ぶというのは、何か問いがあってからこそはじめて考えることができるのであって、問に対する答えを見つけることも大切だが、それと同様に、問いそのものと出会うことも重要である。
ゆえに、私は問いをつくり出したい。
2021年7月31日の日記