ガンディーの書籍を引き続き読んでいるが、宗教観に対しても広く深い認知がされている。
ガンディー自身はヒンドゥー教徒なわけだが、それ以外の宗教も学び、あらゆる宗教の中に、統一的な真理があると捉えている。
「人間が考え出した宗教が、それもまた不完全だとすれば、宗教の優劣を比較するといった問題は起こりえません。どの宗教もみな、真理の啓示によって成り立ってはいますが、同時みな不完全であり、過ちを免れません。」
まさに「永遠の哲学」と似た発想になるだろう。
宗教の違いに現れているのは、アプローチの違いがあるに過ぎない。
日本に馴染みのある仏教1つとってもそうであろう。仏教の中でも宗派がさまざまあるが、その違いはアプローチの違いに過ぎない。
ゆえに、
「神ご自身が、人それぞれに、それぞれ違ったお相(すがた)で現れるのではないでしょうか。」
と言えるし、
「「神は真理なり」というよりも、「真理は神なり」といったほうがより的確です。」
というのはまさにそうであろう。その方がより適切な表現にあたる。
政治と宗教という観点においても、日本では政教分離をとってきたわけだが、ガンディーはそれをわけるべきではないと考えている。
が、これ自体、宗教という認知をどのようにしていて、政治という認知をどのようにできているのか、認知だけでなくそれぞれに関連して必要とされるスキルがどれくらい成熟しているか、これによって異なるだろう。
ガンディーほどの成熟度合いがあるからこそ、それを統合してできるわけだ。
このあたりは、ジェームズ・ファウラーの信仰発達理論が良い補助線になるゆえに読みたいと思う。
なんせ邦訳されたものがないというのが私を重たくさせるわけだが、これ自体が私にとって重要な課題にあたり、むしろ訳書がないことを喜んでみたい。
2021年8月15日の日記より