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日記「あじわい」

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求道者の奇妙なパラドックス #2

今日は、昨日とある方とセッションをしたことが心に深く残っている。
数年ぶりくらいに再会した。

内容は詳しく言えないが、コロナになり、
多くの事業を廃止し、多くの社員を解雇し、多額の借金を抱えたまま
事業の再開の目処も立たず、9月から鬱病になりながらも、
わずか残った社員のために働き続け、ボロボロになっていた。

Zoomで見た瞬間、そのあまりにも変わった風貌に、
私も何かを感じ取りまして、言葉が出なかった。

今までの自分では、聴くことしかできなかったけど、
今の自分は、少しはコーチやカウンセリング的な関わりができる!
と思って、なんとかこの状況でも自分のできることをしようと、力んでいろんなことを試した。

しかし、はじめてみると、いろんな違和感が積み重なり
開始して15分くらいたった頃に、途中で今のセッションを辞めた。

そこから、ただ話を聴くことにした。
その後私の経験談や、二人が共通して尊敬する田坂広志さんのお話をした。
田坂さんの言葉に、「人生は大いなる何かに導かれている」というのがある。
倒産や借金や無職に導かれるって、意味わからないですよね泣笑
でも、きっと後から意味がわかるようになって、これもすべて何か導かれてるんだと信じましょう。
などと涙ながらに話をして、お互い少し前向きな気持ちになって終われた。

久しぶりに、強烈なセッションだった。

振り返って思うことは、
不思議なことに、何かを手放すということの大切をすごく感じた。

コーチングセッションでは、コーチングすること自体を手放した方がいいことは、なんとなくわかっている。自分がクライアントを変えようと思うと変になる。しかしこれは単にコーチングだけではの話ではないように思う。

人間は、そもそも誰もが求道者。何かを求めて生きている。
でも、その何かは、求めることから始まるが、不思議なことに、最終的には何かを求めるということ自体を手放さないと叶わないことがあるように思う。

何か立てた自分の目標も、手放すのもいいかもしれない。
もっともっとコーチングとはかけ離れた何かからコーチとして大切なものに気づけそうな気がする。
勉強会で自分が教えることをやめるから学びが起きるかもしれない。

幸福なんてものはその際たるものな気がする。
自分が幸福になりたいなんて思っていたら、逆に遠ざかる。
自分から離れて、他者に目を向けて行動していると、結果的に自分が幸福感があるものだ。

この世の中は奇妙なまでも、パラドックスに溢れている。

コーチは、自分の考えを一旦横に置いて話を聴くが、
人生そのものも、求めていることを一旦横において、
「余白」や「スロー」を大切に生きることが、結果的に自分の望む結果が現れるような気がする。

2020年11月某日の日記より
12月16日公開

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