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日記「あじわい」

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太ももからうずら卵#312

時刻は23:45。

今日も一日を終えるために、好きな音楽をかけてジャーナリングを書き始める。

先週から右太ももの裏が痛い。なぜか腫れている。

すぐ治るだろうと我慢していると、昨日今日にはさすがに痛みが大きく、仕事中も痛みへ意識がいき、これはまずいと思って皮膚科へいった。

エコーでみるとももの中に、うずら卵があった。笑
(膿が溜まっている)

「これ美味しんですか?」

「食べられません。」

ももを小さくきって、膿をすべて出した。

それから現在の時刻、痛みが引いていって、随分気持ちにも余裕が出た。

何も痛みがないというのが、こんなに楽なのかと。

その意味で、今回の痛みは、痛みとしてしっかり感じ取りたいと思った。

それがあるからこそ、余計に、健康な身体という当たり前に感謝が持てそうだ。

画像1

(太ももは毛深くて、やや恥ずかしいが、痛みを忘れぬために写真で残した笑)

些細なことだが、今日お医者さんに対して、少し遠慮している自分がいることに気がついた。

「これ何が原因なんでしょうね?」

「ん〜まあこういうのはよくありますよ」

「そうですか」

ここでもう1つ、「たとえばどういう理由が多いんですか?」

とかきけたら良かったと、恥ずかしながら、今更思う。

医療も社会制度としての側面があるが、通常のサービスと変わらない。

お金を払い、サービスを受ける。

そこには等価交換で対等である。

にも関わらず、どうして私はこんなにお医者さんに気を使っているのだろうかと思う。

そして、これ自体、私というより日本の集合的な意識ともいえる。

お医者さんはわかりやすく人の健康や命に関わることができるがゆえに、因果関係が明確だし感謝をもたれやすい。

感謝をもちたくないわけではないが、職業に貴賎なし。

回り回って多くの暮らしが成り立っており、どんなサービスにも感謝をもちたいし、過度に遠慮することなく対等でいたいと思う。

2021年10月22日の日記より

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