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日記「あじわい」

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言語獲得により弱まる「感じる」という営み#346

感じるとはどういうことなのか。

今日はこのことについてジャーナリングをしていきたい。

スピリチュアリティのU字型の発達

昨日、「インテグラル心理学」の中で、おもしろい仮説があった。

実際、微細(サトル)な認知のラインは、ある種の「U字型」の発達を遂げるのではないかと私は考えている。すなわち、幼児期においては比較的前面に現れているものの、具体的操作および形式操作的な段階において一時的にその力が弱まり、やがて後-形式的な段階に達すると再び目立つようになる(そして元因(コーザル)の段階に達するまで主要な認知の様式であり続ける)のである。

昨日書いたスピリチュアリティのラインも、子供の頃はもっており、それが大人になるにつれ失われる。

が、大人になってから再び立ち上がる。それは前超の虚偽ではない。

ここに言語というものが大きく関わっている。

言語がない頃は、非二元の意識にあり、言語を獲得することでこぼれ落ちていく。

感情、感じるのU字の発達

これは感情、感じるという行為も同じではないかと思う。

感情に言葉を当てることによって初めてわかる。

だが、それを繰り返すことで、言葉では当てられないようなものが感じにくくなっているのではないかと思う。

フォーカシングの中でも、フェルトセンスという言葉にならない感覚がある。

この感覚を忘れたくない。

感覚を取り戻す

鍛えていくため色んなことができそうだが、1つは、すぐに何らかの言語化することをあえて保留することを大事にしたいと思う。

それこそ、言語表現ではない表現、絵や音で表現することも重要だろう。

ジャーナリング以外にも、そちらの比重も増やしたい。

こう思うと、言語や思考することにも光と影があることを改めて感じる。

2021年11月25日の日記より

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