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日記「あじわい」

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「しいたけ占い」と「民芸」に触れて #8

新幹線で東京から大阪へ友人と帰っていた。
友人が「しいたけ占い」が好きなようで、見てほしいと言う。

私が占い好きではないことを知っていて、読んだ感想を聞かせてほしいと。
私はこの感想には、2つの意味が込められていると察した。

1つは、単純にこの占いが好きかどうか。友人も占い好きではないが、しいたけ占いだけは好きだというから、そこの反応に興味があるのだろう。
そしてもう1つ、阿世賀という人間が、占いをどう捉えるのかを聞かせてほしいということ。

今これを書きながら改めて思ったが、そんな高尚なことは期待されても出てこない。笑
と思いながら、彼の懇望もあり、読むことにした。

当たっているかを見るために、送られてきた来年(未来)のものではなく今年(過去)のものを見た。なるほど。12星座なのか。と思いながら、自分の山羊座を読む。

読んで感じたことがあったため、目を閉じて深く深呼吸をし、水瓶座を読んだ。

読み終わった後、私は思った。
人間は意味をつくり出す生き物だと。

書かれている内容は、哲学的な要素が多く、確かにあたっていると思った。
しかし、誰もが読んでそう捉えることができるのではないかと同時に思えた。

目を閉じて深く深呼吸した際、一度自分の生年月日が実は違っていた確率は0%ではない。自分が仮に水瓶座だったとしよう。そう自分に暗示をして読むと、こちらでも当てはまると感じた。

つまり人間は、占いに書かれてあることをそうなのかもと思い、自分の記憶を遡りそう解釈できるできごとを引っ張ってくる。

私の見たことは過去の占いだが、未来の占いにおいても、そう意識しているから実際なにか起きればそれに関連づけて占いがあたったと思える。

友人にそれを話すと、「つまり占いとは何なのですか?」と問いをくれた。
占いとは、安心を与えるものだと答えた。

もっというと、人間は意味をつくり出し、その意味によって安心感をもつということだと説明した。

この占いの話のあと、嬉しいことがあった。
友人がこのリフレクションジャーナルを見たいといい、見せたところ猛烈に感動してくれた。私としては、大したこと書いてないな〜と改めて思っていたが、友人は真逆だった。
友人は友人なりに私のジャーナルから、勝手に意味をつくり出しているのだ。

新大阪駅につき、パートナーに連絡をして、この一連の話をした。
すると、「民藝」に関する記事で、彼女は「その話は民藝もそうかもね」と面白いことを言った。

送られていた記事のURLをみると、そこには民藝の本質は他力本願だと書いてあった。

正直それだけではよくわからなかったため、その後在来線の帰宅までの間、民藝と民藝の父である柳宗悦についてググった。

その歴史はめちゃくちゃ面白かった。

民藝は、柳宗悦による造語だ。
柳はアーツ・アンド・クラフツのウィリアム・モリスに影響を受けている。
そして、ロンドン、朝鮮を経由し、日本に帰り民藝運動を始めた。

これまで下手物と言われ、無学で無名の人がつくった日用雑器に「用の美」という概念をつくることで、意味をつくり出したのである。

日本民藝協会のサイトには、こんな文章が書かれてあった。

柳たちは、名も無き職人の手から生み出された日常の生活道具を「民藝(民衆的工芸)」と名付け、美術品に負けない美しさがあると唱え、美は生活の中にあると語りました。そして、各地の風土から生まれ、生活に根ざした民藝には、用に則した「健全な美」が宿っていると、新しい「美の見方」や「美の価値観」を提示したのです。

そして、パートナーから送られてきた民藝の本質は他力本願の意味が何となくわかった。
無名であっても、その地域の風土や伝統などの力ということだろう。

これも意味である。
この民藝という意味をつくりだすことで、日本各地の伝統工芸の復興に寄与してきたわけだ。

しかし、意味とは、一概にいいものばかりとは言えないだろう。

デヴィッド・グレーバーの話題作「ブルシット・ジョブ」では、今の仕事のほとんどが価値のない仕事だと言っている。価値のないものにも、意味をつくり出すことで、自分が貢献していると思えていると。

そう考えると、今後我々はどのような意味をつくるかが問われている。
人間は、意味がないと精神をむしばんでしまう。
占いと同じで、意味があるから安心できる。
(この意味は、ユヴァル・ノア・ハラリの言葉でいうと虚構とも言える。)

その特性を理解した上で、我々は、これからどういう新しい意味、虚構をつくっていくことが大事なのだろうか。

その問いだけを残しながら、とりあえず、お風呂に入ろう。

2020年12月6日の日記より
2020年12月22日

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