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日記「あじわい」

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今しがた、1つの研修が終わった。

自己評価としては20点ほどで、久しぶりに凹むものだったなと思っている。

そして、これに凹むという現象が起こること自体にも、自分の中にあるとっても人間らしい部分であって嬉しく思う。

ただ、あくまで自己評価。他者評価とセットであるべきであり、一人の参加者からは「これが20点だなんてびっくりしました」という声から、ギャップがあることは確かである。

健全に自己に活かすために、振り返りのジャーナリングを始めて、気持ちとしてもスッキリするような感覚まで書いてみたい。

人を見て法を説けの難しさ

まずは、「人を見て法を説け」、この難しさを本当に感じる。

まずもって1つは、「人を見て」というが、人が見えない。

物理的には見えていても、その人がどの背景を経て、今どのような環境下におり、どのような関心、知識、スキルをもって来ているのかが深くはわからない。

そのために、冒頭どんな場であろうがチェックインを入れるが、それだけで感じれるところはもちろんある。

たかがチェックイン。されどチェックイン。

さらに、それらが1対1ではなく、対複数になると、この場の集合的な状態をもつかみ取りに行く必要性がある。

ここが1つ目の難所。

そして、今日自分でもう1つ気付いた難所としては、自分が自身が自分の関心に寄っていること。

「先生」「講師」と呼ばれることが好きではなく、共に学びたいと思っている。

それは反面、自分も学びたい気持ちを大事にするがゆえに、自分の関心も尊重する。

それが相手や場のニーズと重なりが多ければいいが、重ならない領域も多かったりする。

それを踏まえた上で、今日自分はどこに重心をおくのか?

その問いをもっていたい。

自身の発揮の振れ幅

それから、自分にも発揮するスキルの振れ幅があることを改めて感じる。

発達心理学の中でも、カート・フィッシャーは、能力の発揮には「環境依存性」と「課題依存性」を述べている。

・環境依存性
置かれている環境、状況によって変化する。ゆえに、自身を取り巻く環境の種類や特徴を見極めることが重要である。

・課題依存性
課題の種類や性質によって変わる。ゆえに、自分の適切な課題、対応できる課題の範囲を掴むことも重要である。

環境依存性

たとえば、公開コーチングの場合、このイベントの環境下でのセッションは、「自分が良いコーチングをしたい」という欲求に突き動かされ、本来目の前のクライアントに必要な働きかけをする部分がブレることがある。

「自分が良いコーチングをしたい」という欲求はなぜきてるのかというと、それを通じて満たされる名声や仕事に繋がることにある。

それを手放すといえばかっこいいが、心はそんな簡単ではない。

市場の中で生きる必要性があるために、一定必要な部分もあるからである。

ただ、私はそれ以上に何を最も大事にしたいかというと、この瞬間を楽しむことにある。公開セッションの場では、学びが豊かであるを大事にしたい。

そう思うと、一定「自分が良いコーチングをしたい」というのが弱まる感覚がある。

こうやって、置かれている環境からくる影響を意識して、自分の振る舞いを微細に変化させたい。

課題依存性

もう1つの課題依存性を公開コーチングでいえば、そのクライアントの性質やテーマの性質による。

自分はどこまで対応できて、どこまで対応できないか。

これを掴むことは対人支援者として必須に思う。

ただ、明確に線を区切れるものではなく、肌感覚でも掴んでいくことになる。

そのためには、多様な人とセッションをしていくことが重要になる。

今の私は、多くがビジネスマンだったり、ビジネススクールの仲間が多く、わりと似た志向性の人が多い。

そりゃそうで、自分のお客さんになる人は、なるべくしてなっている。

私のことを信頼しリスペクトしてくださり、自然と自分に合う人がお客さんになっていっている。

意図的に、自分では普段全く行わない人と接することによって、これまでの差が浮き彫りになり、輪郭が掴めたりする。

そう思うと、そういう機会を意図的に設けていきたいと思う。

2021年12月2日の日記より

 

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