今日は日本臨床心理学会の分科会にて、斎藤環さんのお話を伺った。
以前、オープンダイアローグのご著書も拝読し、直接お話が聞けるとのことで非常に楽しみだった。
印象に残ったことを残しておきたい。
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「オープンダイアローグは技法でもありシステムでもあり思想でもある」
まずは、この斎藤さんからこんな発言があった。
「オープンダイアローグは技法でもありシステムでもあり思想でもある」
しかしながら、オープンダイアローグは日本において、単に技法だけに受け取られていることが残念に思うとのことだった。
特に日本がシステムとして進まないのは、保険適用外ということが一番大きい。
ゆえに、まずは思想レベルでも広げていきたいとのこと。
技法、システム、思想というこの自体1つのよいフレームワークのように思い、すべてのサイコセラピーを捉える上で重要に思う。
特に、複数のサイコセラピーを使い、統合的なサイコセラピーとしてあるならばなおのこと。
思想レベルといってもここにも粒度はある。
抽象度をあげれば、一般的な「対話」と同様のことが言える。
少し具体化して心理学の中で語るならば、家族システム理論、ポリフォニー、社会構成主義こういったものが世界観としてある。
ナラティブセラピーは、同じ世界感にあるが、それを技法に落とした際には、意図的に物語を変えていくか否かの差が出てくる。
こういった思考の営みは、何もサイコセラピーのみならず、目の前におきるすべての現象に対して、それが技法的に、システム的、思想的に参考になる部分があるはず、そういった色んな視点で目の前の現象を豊かに感じ取っていたいと思う。
サイコセラピーにおける集団と個人の違い
改めて、従来からもっている、集団で行うサイコセラピーと、対個人で行うサイコセラピーの違いは何なのだろうかということについて、少しジャーナリングをしながら整理していきたい。
(1)守秘義務
まずなんといっても守秘義務。
セラピストとの1対1は、当たり前だが守秘義務は守られる。
それによる自己開示、開かれた心も起こりやすいだろう。
一方オープンダイアローグのように集団では、クライアントにとってはその点がまず心理的なハードルになるだろう。
(2)共依存関係
とはいえ、1対1のセラピーにおいては、共依存関係になりやすい。
セラピスト自身はフラットに向かおうと誰もが意識するが、専門家と患者という構造上そう捉えられやすい。
ところが集団では、専門家の力ではなく、集団の力によって起こる。ゆえに共依存関係にならず、自律を促しやすい点が挙げられる。
(3)集団ゆえの力がある
それから、なんといっても集団ゆえの力がある。
それぞれの立場ごとにリフレクティブがある。
通常1対1でも、こういった視点獲得を促すために、相手になりきったりするが、どこまでいっても治療者と患者の範疇にとどまる。
多様な意見が一堂に会するからえる洞察はある。
また、患者本人のコミットメントもあがる。
(4)高度なスキルやカリスマ性
それから1対1では、精神科医にしろ、サイコセラピストにしろ、専門家としての高度なスキルとカリスマ性が求められる。
1人あたりに担当できる患者数に限りはある。
しかし、集団の力には高度なスキルやカリスマは必要ない。いやどうだろうか。これはどのサイコセラピーによる部分もあるが、オープンダイアローグでは、必要ない。むしろカリスマ的な存在はないほうがいいだろう。
あれば、逆にそれに引っ張られて、集団の力が活きない可能性すらありそうだ。
ざっとあげてもこんなことが言えるだろう。
2021年12月6日の日記より