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日記「あじわい」

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英語学習上の気付き#381

やるやる詐欺のまま、やらぬままいた英語学習を今日から本格的に始めた。

まずは英文法。

自分なりに英語学習のプロセスそのものをどうやったら楽しめるのか。

そのうちの1つが、「言語による意識の解放」。

私たちの認識、思考が言語によって影響されているというかの有名なサピアウォーフの仮説があるように、今の私は日本語というある種の檻(マトリックス)の中で世界を理解している。

日本語自体がもつ特性を客体化、相対化するために、英語に触れ、英語学習とともに、この点を自分なりに理解してみたい。

といって、そんなことを気にしたら言語学の勉強になっていきそうで、ひとまず語学習得に主眼をおきながら、その関心をある程度保ち、個人的に気になった点を記録用に残していきたい。

無生物主語による他動詞

英語には頻繁に無生物主語がある。

無生物主語というのは、無生物なものが主語になっている。(まんま)

日本語にも無生物主語はある。

たとえば、ご飯が炊けた。お風呂が沸いた。とか。

しかし、他動詞はない。

英語だと、たとえば、「This road takes you to the stadium.」

この道は、君をスタジアムに連れて行く。

なんか急に詩的な感じ。笑

自我や意識を拡張していこうというと、無生物主語が自己に働きかけるものを捉えることが欠かせない。

地球が自分を通じて何を言いたがっているのか?

人生が自分を通じて何をしたがっているのか?

など。

日本語だとあまり口語ではでてこない「無生物主語の他動詞」

これが今の自分には結構大事にしたがっている。

文法

それから、英語は配置が超重要になっている。

単語の配置が変わるだけで全くことなる意味になってしまうため、配置=文法が重要。

しかし、日本語は、配置ではなく「て・に・を・は」といった助詞の働きによって主語になったりする。

英語は必要な場所に言葉を置いていく感覚で、日本語は置くというより、配置はどうでもよくて言葉を自由に貼り付ける感覚。

日本語も文法がないかと思えば、知らべるときちんと構造的に整理されている。しかし、非常に複雑。それは日本語の文法、ルールではあるが、配置という感覚ではない。

このあたりからも日本語のファジーさが出ているように感じた。

文法から日本人の良い意味でも悪い意味でもあいまいさが出ていることを改めて感じた。

2021年1月13日の日記より

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