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日記「あじわい」

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たとえ認知症になっても感情はなくならない #10

今朝、介護施設に関わる友人と話をしていた。
ある日介護職員さんが一人で夜勤をしていたところ、明け方、認知症の利用者さんが施設を出ていってしまい徘徊。
何かあってはいけないため、職員みんなで探して、ようやく見つかったとのこと。

この時、施設長さんや周りの方は、夜勤の介護職員さんに
「なんでちゃんと見とかないの!」とは言わず、
「(自分が夜勤のときに利用者さんが出ていってしまい)心配だったね。何もなくてよかったね」
と声をかけるそうだ。

そして、徘徊した利用者さんには
「なんで外出ていくの!危ないでしょ!」とは言わず、
「大丈夫だった?」と非難せず迎えるらしい。

どちらも自分の感情を横において、相手の世界を汲み取れないのと言えない声かけだ。
「素敵ですね。どうしてそのような声かけができるんですか?」と訪ねて話を進めた。
印象的だったのは、(認知症の方へのコミュニケーションに焦点がいき)
「認知症でも感情はなくならないんです。」と言っていた。

認知症も程度は色々あるのだが、たとえばとある方は、生前ご主人と一緒に家業をしていて、何か手を動かして人の役に立ちたいという気持ちが、認知症でも残っているとのこと。
なので、施設内でも掃除やレクリエーションの準備をお願いしているらしい。
何も任せないと、居たたまれなくなり、外へ出てご主人を探しにいってしまうらしい。

私の信念に、すべてのことに肯定的な側面が眠っているというのがある。
認知症も障がいも、1つの個性と捉えたい。認知症になったからこそ何か秀でるものがないのかと考えてみたい。

例えば、感情は残るというのがすごく印象的で、記憶がなくなるということは、過去の体験から紐づく認知や思考が消える。ということは、すごくピュアな感じになる気もする。

それを伝えると、友人は
「そういえば、ある方は、職員さんに恋をしていて、会ったことを覚えていないので、いつも初恋のような感覚なんです。」
と言った。

なんて素敵なんだろう。

人間の魅力は、「陰と陽」の陽ばかりに目がいくが、陰はよく見れば陽以上の魅力がある。私にとって、人生のスパンでみると、人生の意味を見失った無職の期間が確実に自分に輝きをもたらせてくれた。
パーソナルな部分でいうと、くだらぬ自尊心、羞恥心という虎が体の中に棲みついている。

しかしこれを上手く飼いならすことができれば、きっともっと生きやすくなるだろうし、対人支援の中でも上手く飼いならすアドバイスができるかもしれない。

そういえば、こないだ読んだ本の中に、アサガオの話があった。
アサガオは夜明けに咲く。普通は、アサガオが咲くためには朝の光を浴び適当な温度が必要だから、朝の光を受けてアサガオは咲くと思い込む。

しかし、24時間光を当てっぱなしにしても、アサガオは咲かない。
アサガオが咲くには、そのまえに冷たい夜の時間が必要だと。

我々の人間にも同じことが言えよう。
だから、堂々と自信を持って暗闇をもつ時間を大事にしよう。
自分の闇に感謝しよう。
それが自分の成長と魅力をつくりだしてくれる。

2020年12月10日の日記
2020年12月24日

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