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日記「あじわい」

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HPLでセクシャルウェルネスの講座が始まったことを機に、兼ねてから気になっていたセクシャリティの探求を少しずつ始めた。

代表的なインドを中心としたタントラ、中国の房中術をみているが、細かなところの理解の前に、概観として、ざっとみた今のところの両者の共通点と差異点について整理しておきたい。

と書きながら、どれも違うように見えるし、抽象度をあげれば同じといえば同じようにみえる。笑

こう思うと、ウィルバーが整理してきたメタ認知力の高さを感じる。

今後細かな点を理解していけば、大きく変わるかもしれないため、あくまで現時点の記録として残していきたい。

実践レイヤーと、思想レイヤーでわけてみる。

実践レイヤー

実践上の共通点をあげれば、どちらも同じようなプラクティスがあること。

セクシャリティの実践は二人の実践(双修)に思えるが、どちらも一人で行う実践(独修)がある。

むしろ、一通り独修を修了した後に、双修がある。

独修は、細かな内容こそはそれぞれ違うものがあるものの、ともに、観想が基本。いかに眠っている性エネルギーを、各器官を覚醒させるかという点では共通している。

男性にとっては、共通して、精をもらさないための訓練でもある。

大きな違いは、房中術はあくまで男性中心のものであること。

思想レイヤー

思想上は、タントラがヒンドゥー教に立脚し、房中術は陰陽五行思想、道教に立脚している。

大きな違いは、タントラは、目的が神仏合一であることに対して、房中術の目的は、不老長生に置かれている。

タントラは、性は聖であり、男女の結合は神仏合一のアナロジーである。

一方、房中術は、養生法、長生術として捉えられえている。

道教や陰陽五行思想との関係から、男女の気を交えることで、体内の陰陽の調和をはかり、健康を保とうとするものとして存在している。

書物での探求を通じて

数冊読んでいくうちに改めて思うことは、この営みは、セクシャリティに対しての捉え方を豊かにし、本来ある可能性に触れるところにある。

私たちが抱く性に対する認識や行為は、今の社会構造によって作られたものであるために、動物的なセックスに溺れる現代人に、歪みを直し、本来開かれているセックスを考える機会になっている。

私は今ひとりでできる実践に限られてしまっているものの、それでもできることは非常に多い。

今、公開こそはできていないが、自身の性に対するジャーナリングも増えてきて、セクシャリティを扱うからこそ触れられる自身のシャドーもあり、重要なシャドーワークになりそうな気がしている。

2022年1月15日の日記より

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