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日記「あじわい」

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映画「グレタ ひとりぼっちの挑戦」を観て。痛みを感じる勇気#391

今しがた、映画「グレタ ひとりぼっちの挑戦」を観た。

私の中に、言葉にならない呻きがある。

心が重たい。

この言葉にならぬ感覚を大事にしながら、それらの一部を言葉にしてみたい。

言葉や概念の引力

映画中、いくつも心が震える瞬間があった。

そのうちの1つは、彼女を非難する言葉だ。

「彼女は大げさで感情的すぎると辟易している人は多いようです」

「彼女は救世主じゃない。鬱になっているだけです」

「極端な心配性な少女が不満を抱いているんです。アスペルガーが彼女の場合、弱点となっていますね」

私からみれば、あなたたちのその発言は、自分が痛むことを避け、自分を守るために言う、弱い人間の発言だよ。

仏教に限らずだけど、他者や世界の苦しみや痛みに心が掻き乱されるほどの人が、強さの証だよ。それが本当の意味での慈悲の心っていうんだよ。

ミシェル・フーコーが、病気や健康の概念ができたことで、人を病気扱いする人が生まれたって言ってた。

もちろん、病気の概念ができて医術が進み、救われたことも大きいのはわかってるけど、でも、それが絶対的な真実と思うことが危ない。

言葉や概念によって取りこぼされたこともある。

人間誰しも自閉症的な部分を多かれ少なかれ持っているのが普通で、程度の差なだけ。

だからアスペルガーって概念をつけただけだよ。

こういうふうにも捉えられる。

程度の差を少し広げて病気の定義にすれば、あなただって今のままで病気扱いだよ。

映画の最後でグレタさんが言う言葉にこんな言葉がある。

「私は世界を白と黒に分けたいのではありません。気候問題に白黒つけたいだけなんです。アスペルガーの要素をみんなが持っていたら・・・
気候問題ではそう思います。」

地球の痛みを感じることが、アスペルガーの要素というならば、私たちは誰もがアスペルガーになったほうがいいよ。

仏教にしても、システム理論にしても、あらゆるものは根本的につながっている。

私たちが地球の痛みを感じることは、本来備わっている力なんだと思う。それを病のような色眼鏡でみるのは辞めよう。

痛みを痛みとして感じ切ること

でも、実際のところ、痛みを感じるって難しい。

自分ができてるかって、全然できていない。

自分の痛みを感じることは楽だよ。

でも、自分以外の痛みを感じるって、自分の痛みを感じる以上に怖くて辛い。

自分の行動が、自分を苦しめているなら自業自得と思って、自己回収できる。

でも、自分の行動が、自分の大切な人を苦しめ、生きとし生けるものを苦しめ、未来の人たちまで苦しめているってことを心底感じたら、自分に対する罪悪感でいっぱいになる。

だから、痛みを感じないように、考えないように、想像しないように、無意識のうちに回避してるのが、人間心理だと思う。

でも、本当に痛みを大切にできたら、生き方変わるよね。

グレタさんは痛みを大切に感じている。

だからグレタさんはここまで動けるんだと思う。

グレタさんも普通の女の子だよ。

学校で勉強もしたいし、普通に働いて結婚もしたいって。

いつも日常の生活が恋しいって。

でも、痛みを大切にしてるから、飛行機乗らずヨットで15日間もかけてサミットまでいくし、殺しの脅迫にも負けずに活動し続けることができてる。

「両親が、私のことをとても心配しているのが分かります。もらった手紙の中には、殺しの脅迫もありました。外出しない方がいいと言われましたが、私は気にしません。活動をやめて生じる結果の方が怖いからです。」

恐れないで動きたい

私は、グレタさんから大きな勇気をもらったように思う。

彼女のことをこんなふうにいう人がいる。

「生意気な子どもをメディアに出すべきじゃない」

「自分勝手で礼儀を知らない偽善者です。大人になり、口をつぐみなさい。事実を確信できるまで我慢するべきだ」

私はそう言われるのが怖くて、アホだと思われたくないし、しっかり勉強してからとか思って。でも、そうやって何も動かない。

答えがわからなくても、動くことの方が大事なんだよなって。

もう悠長に構えられる自体じゃないんだよなって。

見て見ぬふりをし続けて、何も行動を変えていない自分が本当に情けない。

俺も動いていきたい。

4つの行動

ウィル・グラントが「行動の4つのレベル」があるって言ってる。

生命科学にしても量子力学にしても、あるいは、一般システム理論、ディープ・エコロジーなどの理論にしても、ホロン(あるものの部分でありながら、それ自体が全体的なまとまりをもつ)、という考えが共通してある。

私はこのホロン構造が大好きだ。

ウィルグランドの「4つの行動」も、ホロンになっている。

レベル1:個人

レベル2:家族、友人

レベル3:コミュニティ、地域、組織

レベル4:経済、政策、法律

どれも大事なのである。

私は何のアクションをするのか。考えたい。

多くのことでなくていい。少なくとも、確実に。

レベル1:個人

■なるべく車を使わない

グレタさんが飛行機移動ではなくヨット移動をみて、自分がときおり、山登りをして修行だとか言ってることが本当に恥ずかしい。

なにが修行だ。

普段のその車を乗る生活を、自転車に変えることが何よりの修行ではないか。

■もっともっとシステムを理解する

それから、私自身のような無知な人間には、もっと今のシステムを理解する必要がある。映画やドキュメンタリーや本の量を増やしていきたい。

レベル2:家族、友人

■家族ぐるみで対話、食生活

まずは、この映画を環境問題に関心の高い母にシェアしたい。

その上で、家族単位でできることを一緒に出し合いたい。

そのうち大きなものが1つ、兼ねてからずっと気にしていた食生活だ。

食事は、どうしても家族と一緒にとるため、自分の意志以上に、家族の合意を力にしたい。

レベル3:コミュニティ、地域、組織

■悪影響の事業に関与しないこと、やめることをいうこと

これは新たにではないのが、私自身が行っている組織開発の仕事のお客さんを選びたい。

生命持続型ではない、今の人間至上主義、成長産業型の組織に与するをさけ、むしろその暴走をやめろという立場をとっていきたい。

ただし、暴走を、コーチングなどの手段を使って意識変容を通じて止めることは行いたい。

■痛みを大切にする場を提供し続けること

ジョアンナ・メイシーのつながりを取り戻すワークを自分の関わる団体に行っていきたい。

レベル4:経済、政策、法律

■現状の課題をつかむ

ここは少なくとも現状の何が問題かをつかむところから始めたい。

しばらくこの日記を読み返そう。

彼女と、彼女の目から見える世界を体験させてくれるこのドキュメンタリーに感謝したい。

2022年2月3日の日記より

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