先日、本屋を端から端まですべてあたっていく際、一番のお気に入りがjunaidaさんの本。
きっと読む人、読む文脈によって感じることが違うだろうから、今日改めて「の」を読んで感じたことを残しておきたい。
まず、何を言ってもこの魅力は絵の美しさにある。
見たことあるような絵だと思えば、伊坂幸太郎さんの逆ソクラテスの装丁をデザインされた方。
本屋で見た瞬間、表紙の絵の美しさにグッと引き込まれ、気がついたら手にとっていた。
そこから開いていく1ページ1ページが、美術館の絵のように美しい作品が続く。
この絵を楽しみたいという気持ちと、早く次はどんな展開になるかが知りたいという気持ちが葛藤しながら、それを決めるのは私の右手。右手がページを開こうとも待とうともする不思議な感覚。
私は小説にしても映画にしても、適度な余白があるのが好きだ。
絵本の魅力は余白の多さにある。この本は最初から最後まで徹底してシンプル。
作者の情報も何もなく、タイトルも「の」のみ。文字もほぼひとこと。
首尾一貫した世界観が、junaidaの世界へ引き込んでくれる。
ストーリーは、シンプル。
「わたしの」から続いて、次のページでは「お気に入りのコートの」と続き
「ポケットの中のお城の」と続き、世界はお城にフォーカスがあたり、どんどんミクロな世界へ入り込んでいき、「の」だけで話をつないでいく。
世界がこんなにも広がってるのかと感じさせてくれる。
そして最後には、「わたし」に戻ってくる。
この余白のある絵本を読んで、皆さんはどんなことを感じるのだろうか。
十人十色、きっと色んな受け取り方、解釈があるだろうから聞いてみたい。
私はこの本の「の」でつなぐ物語から「世界は不可分でつながっている」ことをしみじみ感じた。
そのページにいる人も次の人と何かでつながっていて、その景色も何かで次の景色とつながっていて、色んなものがとぎれることなく、つながっている。
そして、最後はわたしに戻ってくる。
この世は分けることなんてできないんだと思った。
今朝の私は疲れていたが、クライアントにコーチングをしていると私が元気になった。
夜のコーチング勉強会も、私が教えながら私が勉強になった。
きっと、自分が癒やされたい、自分が学びたい、自分が幸せになりたいと、私ばっかりで思っていては、本当には手に入らない。
皮肉なことに、自分を手放し、相手にgiveしていると結果自分が受け取っていることになる。
私も他者も世界も地球も、ひとつながりであるから。
宮沢賢治が、世界全体が幸せにならないうちは、私の幸せもありえない、と言っていたことを思い出した。
そして、さらに一歩引いて考えてみれば、
ニーチェの「永劫回帰」を思い出す。循環性、永続性、無限性を象徴しているようだ。
いつも思うのだが、映画にしても小説にしても漫画家にしてもも、作者はどこまで意図して作られたのだろうか?
人間は意味を構築する生き物だから、きっと作者が想定してない以上に解釈があるんだろうが、junaidaさんはどんな想いを込めたんだろうか。
いずれどこかでお話してみたい。
2020年12月09日の日記より
2020年12月31日