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日記「あじわい」

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アンネの日記から感じること #20

今朝はアンネの日記のドキュメンタリーを2本見た。

世界で60カ国以上、2500万部も売れているというだけあり、考えさせられることがあまりに多い。今でも何を書けばいいかわからない。
それくらい色んなことが含まれていて、アンネの日記は、自分の人生で何度も読見返したい。

今の私にとって感じたことを残しておこう。

実存を捉えることの大切さ

まずは、一人ひとりの実存を理解しようすることを忘れてはならないと思っている。

ホロコーストは、600万人の犠牲者と言われている。600万人が1回と捉えてしまうがそうではない。1人への虐殺が600万回あったと捉えたい。

どうしても数が多くなると、一人ひとりの実存が見えにくい。まるっと捉えてしまう。しかし、アンネのような人を知ると、「そうか、アンネのような人がここには600万人もいたんだ。」そう思えるようになった。

こんにちに引き寄せていくと、私自身も今社外から関わらせていただいている企業も、クライアントが3桁レベルで増え始めると、まるっと見てしまっている。

数が増えれば、一人ひとりの実存を理解していられない。それもわかる。まるっとグルーピングして抽象的に捉えることはそれはそれで行いつつ、とはいえ一人ひとりを理解しておくことも忘れてはならない。

善悪の判断

また、ミープさんという人にも触れておきたい。
隠れ家に住む間、アンネたちを支援をしてくれた人はミープを始め何名かいた。

ミープさんはユダヤ人ではない。かくまっていること見つかってしまったら自分にも危険が及ぶにも関わらず、守ってくれていた。

ミープさんはインタビューでなぜ助けていたのかと聞かれると、「理由はない。人として当然のことをしただけ。」と答えていた。ミープをみて、自らの危険をおかしてでも、善悪の判断で動く人間でいたいと思った。

助ける助けられるの概念は、あるようでない

そして、アンネを支援してくれた中には、もちろん父の存在も大きかった。家族の中でもいざこざはあった。

ただでさえ、ストレスがかかる環境。それでもアンネは、食料、お金の面でも父に助けられていることを理解していたため、父に尊敬と信頼を寄せていた。

一方、父の視点から見てみると、父にとってもいつ見つかるかわからない恐れがあったにも関わらず、子供のためにという責任感が、父自身の力になっていたのだと思う。

そう思うと、父自身も、アンネを助けることで助けられていたのだと思う。

どちらかが「助ける」「助けられる」ではなく、お互いが「助ける」「助けられる」存在なんだと思う。

これは助けるだけではなく、「教える」ことで「教えてもらっている」し、
色んなことでそう言えるだろう。

死んでからもなお生き続けること

こうやって書き始めると、芋づる式に他にも色んな話が浮かんでくる。今日はこのあたりで寝たい笑

最後に、アンネの日記のなかで、言葉で好きな言葉がある。

「私の望みは、死んでからもなお生き続けること」

日記というものを通じて、たしかに我々の中で生き続けている。
アンネをみると、人間はなんて創造的な生き物なのだろうと思う。

人は文章を書くこと以外に、絵を書くことも、曲をつくることも、踊ることもできる。
いろんな表現ができ、アンネのように1人の人間が表現することで、人をこんなにも人を救うのである。

自分も表現することで、死んでなお生き続けたい。

と同時に、私が表現していることは、はたして本当に私から生まれているものか、とも思う。

もちろんこの文章だって、私から生まれているのだが、私という人間を語るには、私と関わった人や先人たちを語らなければ本当の意味で私を語ることにはならないだろう。

だから、私にとって何かを表現することは、私の自我が永遠を希求する側面もあるが、実は受け継ぐという側面が大きい。

私のこの表現は、これまでの人類が受け継がれてきたものがどれほど大きいか。

そう思うと、過去受け継がれてきた産物が、今偶然、自分という存在を通じて表現していると言えるだろう。

それを踏まえた上で、
私は、1人の人間として何かを表現していたい。

2020年12月14日の日記より
2021年1月3日

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