今日クライアントがミヒャエル・エンデのモモを読んだとのことで、そのお話になった。
内容的にさっぱりわからなかったというが、もはやその発言が素敵だなと思いながら、私自身も結構前に見たので記憶が定かではないが、話しながら思い出した。
話が盛り上がったのは、灰色の男たちの最後。
「いいんだ、これでいいんだ」といって消えていく。
鬼滅の刃の鬼も、何か最後に大事なことを言って消えていくが、この灰色の男も、あれだけ時間を奪うことをしていながら、最後自分が消えていくことを肯定している。
どういうことなのだろうか。
ミヒャエル・エンデはあとがきで述べているが、これの話は過去の話でも未来の話でも大きな違いはないと言っている。
いつでも灰色の男は出現しうることを示唆してくれている。
その意味から、灰色の男は、私の心がつくり出しているものなのかもしれない。
灰色の男は、自滅していくところがポイント。
善が悪をやっつけるものでもない。
悪に見えるものにも肯定的なものがあって、何かを守ろうとしてくれている。
たとえば、過去にあまりにもダラダラ過ごしすぎてしまって後悔してからこそ、後悔しないようにしてくれてた存在なのかもしれない。
でも、そのことに気付いてくれれば、自分の役割は果たせたと思える。だからこれで良かったんだと言える。こうやって統合されていくような消え方を示唆してくれてそうだ。
映画「怒れる12人の男」でも、感情的になる人がいるから、こちらが感情的になるのを抑えようと思える。無責任な人がいるから、こちらの責任感が高まる。
灰色の男がいるから、豊かさというものに気が付ける。
本当にすべてのことにメッセージはあるんだなと改めて思った。どんなことからも肯定的なメッセージを汲み取っていきたい。
2020年12月24日の日記より
2021年1月7日