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日記「あじわい」

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今日から兵庫県も2回目の緊急事態宣言。
クライアントとのMTGも組織の働き方をどのようにするか。

この流れもありながら、友人がフランス小説家アルベール・カミュのペストを読み始めた投稿をみて、私も再び本棚から本を手にした。

改めてカミュの文章に惚れ惚れしながら、ところどころ読む。

物語を群集劇で描くあたりに、カミュの人間や世の中に対する多様さや複雑さを表現したいことが伝わる。

カミュは不条理文学と言われるが、カミュ自身の人生が不条理そのものであった。

カミュは、アルジェリアで暮らすフランス人として差別を受け、貧しい生活で、故郷のアルジェリアから追放され、奥さんとも離別。
フランス人作家と聞くと華やかなイメージがあるがそんなことは全然なく不条理の中にいた。

本作は、不条理の代表例としてペストを扱うが、コロナと同じような疫病。
私のクライアントや友人たちも、ここまでビジネスを育ててきたのに、なんで潰さなければいけないのか、この不条理に立ち向かっている。

我々はこの不条理にどう立ち向かうのか。
カミュの作品から考えさせられることが多い。

まず、押さえておきたいのは、本作の中に、自分の中のペストという表現がある。ここでのペストは、不条理であり、
外側(世界)の不条理は、疫病、天災などあるが、
内側(人間)の不条理もあるという。

決して人間が太刀打ちできない外側だけのことではない。
戦争を経験してきて、嫉妬や憎悪も不条理だと言うわけだ。

何もないように思えても、人間の命そのものも、いつか死ぬことから不条理と言えるのかもしれない。

ではこの不条理とどう向き合うのか。
本作に出るリウーやタルーは、まるでカミュを投影しているように見える。

カミュは後に、反抗的人間を出版するが、不条理に反抗する。
この反抗は決して革命のような暴力的なものではない。
ヒロイズムや聖者の美徳を求めていない記述があった。

それはタルーが死刑と向き合い、「あらゆる場合に犠牲者の側に立つと決めた」というように、ガンジーのような非暴力、不服従というスタンスであらがう。

この姿勢がカミュが伝えたかったメッセージなのだろう。

私もこのあらがうが好きだ。不条理にあらがいたい。

何も真面目にそればかり取り組めというわけではない。
リウーが、タルーと海に泳ぎにいったように、時にそういう時間の大切さも教えてくれてながら、なにより人間がもてる「連帯」を教えてくれている。
1人で戦うわけではない。誰かとつながって、あらがっていける。生きていける。

アインシュタインが「どんな問題も、それをつくり出したときの意識レベルでは解決できない」というが、人間が抗い続ければ、成長して乗り越えるものもあり、そういう時がくるように思う。

カミュはこんな事を言っていた。
「ペストと生命の勝負で人間が勝ちえたものは、認識と記憶だった。」

こうやって、リウーもカミュも、文章を残していった。

残してくれたからこそ、こうやって時を越えて今の私たちが読むことで代理体験できる。

私個人も今の生活を、こうやってジャーナルを通じて、わずかなことではあるが、色んなことが気付かず流れていく中、それに気付き、忘却することなく、認識と記憶が着実に残っているような気がする。

今すぐに、現状の解決策は思い浮かばないが、なにかこうやって書いて言語化すると、いつか熟成してつながるような気がする。

レベルは全然違うが、私も書くことを通じて、不条理とあらがっていきたい。

2021年1月13日の日記より
2021年1月17日

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