今日は小倉城の隣りにある松本清張記念館に訪れた。
まず始めに、松本清張の作品一覧が壁一面に表示されている。
「砂の器」「点と線」「ゼロの焦点」など、ドラマ化されるものが多いが、それはほんの一握りで、作品は全1911もあって圧倒された。
館内には、当時の原稿が置かれていて手書き。
今ではパソコンでの執筆が当たり前だが、手書きでこれだけのものを書いたわけだ。
その作品を生み出す背景には、どれだけの時間や想いや経験があったのだろうかと思うと、人知を超えたように思えた。
偉大な作家というのは、そういうものなのだろうと思いながら記念館を進むと、次に松本清張の生涯が書かれていた。
ここで松本清張のことを詳しく知らない私からすると驚きの連続だった。
これだけの作品数があるということは、若くして執筆活動をしたのだろうと思えば、松本清張が書いたのは、42歳。かなり遅咲きだった。
貧しく生活で、大学にはもちろん行っていない。工場や電気会社で働いたりしている生活。
館内の説明にもあったが、生まれてからは「濁った暗い半生」と書かれていた。
しかしこの濁った暗い半生があったから、作家としての松本清張ワールドが生まれたのだろう。
印象的だったのは、作家になってからは、死ぬ直前までカメラをもって世界を回っていたこと。朝日新聞社で働いたジャーナリズムを感じた。
松本清張と関わりのあった人からのインタビューでは、松本清張が「とにかく時間がないんだ。書きたいことがありすぎて、時間がない。」と言っていたらしい。
2000作もの作品を生み出してしても、まだまだ溢れ出るものがあるなんて、
なんて創造的な方なのだろうと衝撃的だ。
館内の最後には、面白いことに松本清張の「思索と創作の城」と題して、家が再現されていた。間取りをみると、書庫が10個ほどある。
心のなかで、ここは図書館ですか?と思わずつっこんだ。
館内の説明には、書斎には家人でも入ることが躊躇すると書かれていた。
それほどまでに、松本清張とこの書斎からは、何かただならぬ空気を出していたのだろう。
館内を見終わった後、改めて、松本清張から強烈に生きる力を感じた。
私は32歳だが、松本清張がデビューした42歳までちょうどあと10年。
私もいつか書物を書いてみたい。
松本清張とはまた違った形になるが、この活力は見習いたい。
著者の人生自身に触れていくことで、作品から感じられることも変わりそうだ。こういう偉人の記念館は、色んなところで行ってみたい。
2021年1月某日の日記より
2021年1月18日