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日記「あじわい」

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相対主義にこだわるという絶対主義に陥る。自己言及のパラドックス#80

今日は嶋内さん主催で、ウイニングカルチャーを出版した中竹さんと加藤さんのイベントに参加させていただいた。

非常に良い機会で、この場を企画&ご招待いただいた嶋内さんに感謝したい。

有り難いことに今仕事の依頼も多く立て込んでおり、残念ながら、書籍は加藤さんの対談部分しか読めず当日を迎えてしまったのだが、冒頭中竹さんから、良い問いがたくさん投げかけられた。

さすが元日本代表チームのコーチをされてきただけあって、もう素晴らしい問いだった。

中でも、この問いをいただいたときに個人的に気づいたことがある。

中竹さん曰く、この書籍のウイニングカルチャーという本だけあって、この本から連想することは、多くの人が

・どうやって勝つのか?
・何をすれば勝つのか?

を期待するだろうが、私自身が問いたいのは、それ以上に、

・あなたにとって勝ちとは何か?
・なぜ、あなたは勝ちを手にいれなければならないのか?

という問いだった。

わかる。

私も今人材育成のお手伝いをさせていただいている法人様も、経営理念に「勝つ」という言葉が入っていて、「勝ちとは何ですか?」「どうして勝たなければいけないのでしょうか?」
ととっさに質問したのを思い出した。

そもそも私がこの本のタイトルや目次をみたときに、
「勝ち」「勝ちグセ」「最強」という言葉に強烈な違和感をもち、正直なところ、この本を読む気になれなかった。

そもそも勝ちとか負けという二元論がおかしく感じてしまう。

もちろん、勝ちにも豊かな意味合いがある。
自分に勝たねばいけないこともあったりするだろう。

だが、「勝つ」という言葉を使うからには、もっと豊かな意味合いで使ってほしいとどうしても思う。

今日の気付きは、上記の内容ではなく、上記のことをずっと思って、やや興ざめになってしまう自分がいることに気がついた。

インテグラル理論の書籍の中でも紹介されているスパイラルダイナミクスの中で、グリーン段階の特徴として、グリーンも第一層の段階で、他の段階に反発するとある。

“しかし、第一層の段階はどれも独力では、他の段階を十分に尊重することができない。第一層においては、どの段階も、自らの世界観こそが唯一正しい最善の見方だと考えているのである。
(中略)
グリーンの平等主義にとっては、能力や価値への順位付け、大きな地図、階層的な見方、あるいは権威主義的に見えるものは何であれ、受け入れることが難しい。それゆえ、グリーンは、ブルーにも、オレンジにも、そしてグリーン以降の段階にも、強く反発するのである。”
加藤洋平監訳「インテグラル理論」P57より

グリーン段階は自分を横において、多様な視点を取れてくる。
多元的相対主義が特徴の1つであるが、それゆえに相対主義という絶対主義に陥る可能性がある。自己言及のパラドックスだ。

私が、何かビジネス・経営学の文脈で「勝つ」という表現が出てくると、やや興ざめしてしまう反応そのものが、まさに他の段階に反発していると言えるのではないかと思った。

正確には強く反発はしていない。
だが、どこか内心興ざめしている自分がいる。

これが、インテグラル理論でよく言われる「あれもこれも」で統合するというより、どちらかというと「あれかこれか」になってしまっていたように思う。

この違和感を持つこと自体はとてもよいことだ。
その違和感を大事に、切り捨てるのではなく、違和感を持って毛嫌いせず、
むしろ関心を向けたいと思う。

判断をとめ、対極にあるものに、あえてもっともっと関心を向けたい。
そうすれば、きっと「あれもこれも」の統合が生まれるだろう。

もっと私自身の言葉からも、あえて今まで以上に深く広い意味を伴って、
「勝つ」という言葉が出てくるかもしれない。

中竹さんがまさにそうなのだろう。

今回のウイニングカルチャーという書籍でいうと、勝つという違和感に対して、

・アスリートでのコーチをしてきた中竹さんだから勝ちという表現をしているんだな
・マーケティング的に、ペルソナを踏まえてあえてそういう言葉を使っているんだな

とかいった考えだけで関心をとめるのはあまりにももったいない。
(もちろんそうやって判断せざるを得ないときもある。)

今冷静に思うと、中竹さんの具体的な経験は、私にとって貴重なものばかりだろう。

いやもっというと、中竹さんに限らず、誰かの具体的な経験そのものは学びの宝庫なのである。

今日の加藤さんも、具体的な経験を引き出そうと意識されていたように私には見えた。

加藤さんとご一緒してずっと思っていたことだが、加藤さんのふるまいは、誰とでもどんな話でも、いつも新鮮な反応をする。

この反応は、そういった誰かの具体的な経験そのものは学びの宝庫という思いがあるからかもしれない。もっというと、今目の前のできごとのすべてを新鮮なものとして感じとれている。

書籍とは関係ない話になってしまったが、私にとってはそんな貴重な気づきがあった。

もちろん本題の方でも多くの学びがあった。それも含めて、この書籍を読み進めてみたいし、今日の場に感謝致します。

2021年3月2日の日記より
2021年3月3日公開

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