尊敬の念をもってですが、理解の範疇を越えてくる方がいる。
私にとって発達知性学者の加藤洋平さんもそうなのですが、テレ朝のナスDも人智を超えた能力に笑けてくるし、感動してくる。
やや疲れがたまった模様で、横になってyoutubeを開いた。
ナスDの動画でも久々見たくなってみた。
無人島で2泊3日一睡もせず自分のやりたいことをやり続け、知性を伴ったサバイバル能力で、地味に絵もうまいし、歌もうまい。
何よりナスDの言動を見ていると、何にでも関心をもって、いのちそのものを大切にしている感じが伝わる。
無人島で家を作るとき、ツルを使っていて、ツルにさえも人と同じように一つひとつのツルに個性を感じ取っている。
ツルにさえも、1つとして同じものはないことを感じ取っている。
海に潜って魚をとるときにも、魚の個性を感じてとっていて、人懐っこい魚をとっているそうだ。
ちなみに、今回見た企画では、72時間以上一睡もせず動くナスDに対して、
スタッフが交代して撮影しても体力が持たず、プロカメラマンが何度も寝落ちしながら撮影している様子にナスDへの信頼とチーム一体感を感じる。
たとえ仕事と言えど、度を越えたナスDのタフネスさに限界があるにも関わらず、限界を越えても撮影し続ける裏側のスタッフにも、これまでナスDと幾度となく死線を越えてきたのだろうと思う。
どうして自分は、ナスDに惹かれるのだろうか。
意外にもナスDと加藤さんに共通するところがある。
目の前の現実を心の底から楽しんでいることだ。
生きていれば悩みはある。
その悩みは、自分が勝手に悩んでいるにすぎず、何かに執着し、何かにとらわれいるだけで、本当は何もないのだと思う。
空という仏教思想はとても好きだ。
一方で、最近そうやって自分の精神世界を研ぎ澄ますのみならず、よりこの市井というものも大事にしたいと思うようになった。
「小賢は山陰に遁し大賢は市井に遁す」とあるが、本当に偉大な人はこの市井で生きている。十牛図も似たところがある。
ネットワーク理論をみればこの世界は繋がっており、ゆえに変化し続けていて、同じものは1つとしてないはず。
目の前の現実も、何一つ同じものはなく、豊かで甘美な世界なんだと心から思いたい。
悟りのような状態をもちつつも、今度はもう一度、この現実を迎え入れたい。悟りの視点から、世界を新しいものとしてみれるようになりたい。
このジャーナリングも、それを感じとって、深くあじわうために書いている。
ナスDとは全然違うが、私自身が彼からそんなことを感じ取っているから、魅力に感じるのだろう。
今この瞬間を丁寧に生きたい。
2021年3月4日の日記より
2021年3月5日