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日記「あじわい」

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レミオロメンの「3月9日」の歌詞に触れて、意味を感じる#86

3月9日、時刻は23時。

ネットワーク理論の書籍を読み始め、眠くなってきたので、お風呂を沸かしている間に、今日は温かいチャイティーを飲みながら、ジャーナルを書き始めた。

今日は、3月9日。レミオロメンの曲にあったなと思い、アレクサで声をかけて流してみる。

静かな夜の書斎で、優しく目を閉じて、曲を久しぶりに聴く。

何か、この曲をきくと、亡き祖父を思い出す。

3月6日が誕生日だから、このときによく聴いてた。

久しぶりにきくと、学生の時には感じなかった甘美な詞にうっとりする。

歌詞を書き写しながら、少しずつ味わってみたい。

流れる季節の真ん中で

流れる季節の真ん中で
ふと日の長さを感じます
せわしく過ぎる日々の中に
私とあなたで夢を描く
3月の風に想いをのせて
桜のつぼみは春へとつづきます

「流れる季節の真ん中」というのは、今この瞬間のことをさしているんだろう。

普段は慌しい日々だが、ふとゆったりとした時間を過ごしている。

「私とあなたで夢を描く」。

そう、私が夢を描くんじゃなくて、私とあなたで夢を描く。

私が夢描くように思うけど、私単体は1人で生きていない。

今日ネットワーク理論の本を読んでいていたのもあるけど、どれだけ家にこもっていようが、地球上のすべての人が繋がっている。

たとえ面識がなかろうが、繋がっている。

親が育ててくれ、その親を祖父母が育ててくれ、その祖父母はと脈々と続いていく。家族だけじゃなくて、今いる友人も含めて、私を応援してくれる人は、たくさんいる。

全ては繋がっているから、自分だけの夢じゃないし、自分だけの人生じゃない。

だから私とあなたで描いてる。

 

そして、想いを風にのせる。

私が1人で生きていないのは、何も人間だけのつながりじゃない。

風も含めて、地球上にあるもの起きるもの含め大きなシステムの中に私たちはいて、自由意志だけではない何かの宿命も引き受けながら進む。たとえどうなろうと、春につづく。

溢れ出す光の粒

溢れ出す光の粒が
少しずつ朝を暖めます
大きなあくびをした後に
少し照れてるあなたの横で
新たな世界の入口に立ち
気づいたことは 1人じゃないってこと

太陽の光とともに新しい朝を迎える。

「新たな世界の入口」は、卒業とか転職とか結婚とか、何かの門出で、そんな日だからこそ、日常のふとした隣りにいるあなたのいる有り難さに気づけたのだろう。

でも、この新たな世界は、何も卒業とか結婚とかそんなものだけじゃない。

同じ家で同じベッドで同じような日光を浴びて目が覚めるけど、本当は毎日が新しい日だし、もっというと、今この一瞬一瞬が絶えず新しい世界になっている。

「新たな世界の入り口」は、絶えずある。

そして、絶えず1人ではない。

瞳を閉じればあなたがまぶたのうらにいる

瞳を閉じれば あなたが
まぶたのうらに いることで
どれほど強くなれたでしょう
あなたにとって私も そうでありたい

なんて素敵なんだろう。

あなたはまぶたの裏にいるんだよね。

視覚的にみえるとか、物理的にそばにいるとかじゃない。

自分の意識の中でいる。

今は私も家族とあってる時間もほとんどない。

祖父もいない。

でも目を閉じれば、たしかに意識の中にいる。

生とか死とかも自分の認識上の話しで、関係ない。

 

コーチの仕事も、クライアントと伴走とか言ってるけど、本当のこというと、関わってる時間なんて0.1%も満たない。

クライアントが自分自身の力で走ってる。

でも、物理的とか直接的とかじゃなくて、私の存在そのものが、誰かの意識の中で生きて、それが力になれるような人間でいたい。

砂ぼこり運ぶつむじ風

砂ぼこり運ぶ つむじ風
洗濯物に絡まりますが
昼前の空の白い月は
なんだかきれいで 見とれました
上手くはいかぬこともあるけれど
天を仰げば それさえ小さくて

ここもおもしろいな〜

砂ぼこりが洗濯物につくと、うわっ最悪やってたしかに思う。

上手くいかないことも、空をみれば小さいことにとらわれていることに気付ける。

「昼前の空の白い月」というのも文学的。

月は夜に出ると思えど、太陽の光の影響だけで、実は昼も夜も関係なく、ずっといる。

私が勝手に気づいていないだけで、あるいは人間の視覚上の問題だけで、本当はずっといる。

自分のもてる視野の狭さに自覚的になりつつ、とれる時間軸や空間を広げて、視野を広くもてたりすると、昼前の月に気付けるように、どんなことにも意味が眠ってることに気付ける。

青い空は凛と澄んで

青い空は凛と澄んで
羊雲は静かに揺れる
花咲くを待つ喜びを
分かち合えるのであれば それは幸せ
この先も 隣で そっと微笑んで

いいよね〜

自分がどう思おうが、空は気にせず青く美しく広がってる。

雲も穏やかに揺れて、なるようになると言ってくれているよう。

花が咲くから喜ぶんじゃなくて、花咲くことを待つ今この瞬間に喜びがある。

それに気づけて、ひとりじゃないことにも気づければ幸せだよね。

分かち合って、隣で微笑むのも、一緒にできれば嬉しいけど、いなくても、それは瞳を閉じた意識の中でできる。

同じ空の下にいるんだから。

 

なんか癒やされたな〜。

詩や音楽は、なんと素晴らしいか。

私もこんな詩や音楽をつくってみたい。

そして、誰かの意識の中で生きる存在でいたい。

 

2021年3月9日の日記より
2021年3月10日

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