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日記「あじわい」

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認識できるから生まれる言動がある#177

時刻は14時。気温は28℃。

随分熱くなって、庭で過ごしにくいかなと思いきや、木陰にいると風が吹いてきて心地いい。

あじさいも随分咲いた。

もう蚊もいるし、トンボまでもとんでいる。今年はじめてトンボかもしれない。

小鳥が何か話しているように、ずーっと鳴いている。
今朝のMTGでも、阿世賀さんところ小鳥の音楽かけてます?と言われるほどずっと鳴いている。

ほんにゃくこんにゃく欲しいくらい何鳴いてるか気になる。

昨晩、ふと思ったことなのだが、今実家にいてて、父、母、祖母を見ていると、本当はこんなこと思ってるんじゃないかなと、私の仮説に過ぎないのだが思うことが多い。

それをぶつけてみて対話してみるのが面白い。

自分が日々変化あるいは成長していっているのだが、なかなか自分自身がそれに気付くことが難しいものがあるけど、1年前に比べても、1つの現象から汲み取れるもの、認識できるもの、仮説として湧き出てくることが随分増えたように思う。

家族の中においては、それを差し出すだけでも、なにか勇気づけになっているような気がする。

たとえば、昨晩とある出来事に対して、父は悲観的にみて、母は楽観的に捉える。

それに対して、母は「なんでこんな考え方違うんだろう」と言う。

「どうしてそう思うの?」と聴いてみたいところだが、もう寝る直前だったので、私が感じたことを差し出してみた。

「違う人間だもんね〜。僕は、なんかすごいいい夫婦だな〜と。

両方ともおとんみたいだったら、石橋を叩きすぎるし、
両方ともおかんみたいだとあまりに石橋を叩かず進んでしまう。笑

2人で、良いバランス取れて良い夫婦だな〜と」

そんなことを思って、これを思うだけじゃなくて、母に対して差し出してみる。すると、少し喜んでいる。

当たり前のことだけど、人は認識できるものでないと、それを意図的に言うことも行うこともできない。

発達するというのは、認識世界の拡張で、1つの現象から感じ取れることが豊かになる。

もちろん知りたくもないことも感じ取れてしまうこともあるのだが、それでもそれをどう意味づけるかは自分次第なのであって、認識できることが増えたおかげで、私がこうやって母に対して言葉をかけることもできる。

だから発達というのは面白いな〜と思う。
人の内面の深遠さ、世界の豊穣さたるに触れていくことは、人生そのものを豊かにしてくれると思う。

2021年6月8日の日記より
2021年6月9日

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