今日は、私のとても大切な人の心情に触れた。
私が想像していた以上に辛い状況だったようだ。
なにげない会話の中から聴けた。
それに動揺する自分がいるが、「死ぬこと以外かすり傷」とはよく言ったもので、落ち着いている自分の方が大きい。
当たり前だけど、最近父と母と過ごして、ただ一緒に時間を過ごすだけでも、その人が内面を感じ取ることができる。
でも、殆どの方とは、一緒に過ごしているわけでもなく、限られた時間。やりとりでしか一緒におらず、こういった雑談の中から感じ取れることの大切さを感じる。
今回のことは、その人の問題でありながら、私の問題でもある。
利害関係のある私だが、自分のことはおいて、その人が本当にどう生きたいかを一緒に考えてみたい。
だから、私は今の仕事をしている。
そんな私の心境もすべて話した上で、対話をしているが、相手の立場にたつと、どこかで、私以外の第三者が聴いてあげた方がいいのではないかと思う自分もいる。
だから、社会の仕組みとして、エールのようなビジネスがあるわけだし、聴きあえることが当たり前になる社会にできたらと思う。
でも、一方で、たとえ利害関係があったとしても、むしろ利害関係があるからこそ、気付けることもあるのではないかと思うし、そう信じたい。
だってそうでしょう。
大切な人を大切にしたいわけですから。
2021年6月11日の日記より
2021年6月12日