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日記「あじわい」

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卒業文集と母校に触れて#181

今日も1日中寝るが熱は下がらず。

そんな中とあるクライアントから報告メッセージが来ていてものすごく嬉しかった。

体調崩し色々リスケすると、別にしなくもいいんだなと思う反面、やっぱり私は人と関わるのが好きなんだなと思う。

昨日、熱が出る直前、友人と一緒に小学校と中学校を1時間半かけて歩いて見に行った。

ちょうど私の世代は、三田が人口増加率が10年連続日本一だった。小さなまちに、人口が4万人から10万人にまで増える。

私の小学校も、私が小学1年生のときに開校された学校で、建物の作りといい、グランドの広さといい、なんて恵まれたところで育ったんだろうと感じた。

奇遇にも、昨日実家で部屋の片付けをしている時に、卒業アルバムと卒業文集を見た。

文集は3つ。
小学5年生の自然学校
小学卒業時の卒業文集
中学卒業時の卒業文集

まずは小学5生の文集。
自然学校はいまだに印象に残ってるほど楽しかった。

キャンプファイヤーか、飯盒炊爨した話か、竹をつかって色々つくった話か、森田剛好きのリーダーの話か、どんな楽しいことを書いてるんだろうと思ってみるが、私の文集は、とあるMくんの話が書かれていた。

Mくんがグループからはぐれてしまうことを気遣い、探しにいく話が何度もあり、最終的にはMくんが自分が迷惑をかけていることが申し訳なくて、お風呂で泣いていた話だった。

当時を思い出した。

文集を書く際、一番印象に残ったことを書いてくださいと言われた。

皆が大自然の中行うキャンプファイヤーといった楽しい話を書く中、私にとっては友人のきれいな涙が一番印象に残っていた。

最後に小学生ながらに幼稚な文章で、Mくんを慰めている話が書かれてる。
私もMくんに助けてもらったから、助け合いがあってよかったねと。

何か私のコーチとしての原点がここにあるように感じた。

阿世賀家という愛情のある家庭に育ち、家族行事は1人も欠けずに行うことが、私にとっては学校でも習い事でも、色んな場で誰も取り残したくないと思っていたんだと思う。

次に、小学校の卒業文集。

ものすごく立派なことが書かれていた。

「僕たちの将来は、いい世界だと思う。僕が差別をなくす主人公。みんなが差別をなくす主人公。これが僕の願いごとです。願いごとには苦労がいる。苦労をして自分の願いごとをかなえてみせます。」

このかなえてみせますという言いっぷりからも、自己効力感の強さを感じた。

昔から、信じられないくらい冒険心が強かった。

これは家族の愛情が強くて安心だったのと、4人兄弟の末っ子なので、結果的に近所や周りのお店も、だいたい私のことを知ってくれていたから、この世界は安心なんだと思っていたのだと思う。

何かあってもそれなりに何とかなると思っていた。
根拠のない自信たっぷりで、本当にいい世界になると思っていたんだと思う。

最後に、中学校の卒業文集。

ここから急激に文章がポエム化している。私らしくて笑った。
題名はyoutudul daysという当時のミスチルの曲から拝借し、尾崎豊の引用までしている。

「生きること。それは日々を告白していくことだろう」

今読むとなんと奥深い言葉だろうか。

中身には、「一期一会」という四字熟語を私は大事にしたいんだと書かれていた。

何か改めてこう読んでいくと、3つの文集とも、今の私と変わっていないように思う。中学のポエムっぽさも含めて。笑

と、今これを書きながら、ものすごく安心感がある。
自分の小さい頃の経験から、今でも変わらないものを見つけると、ものすごく安心感が芽生える。

以前クライアントに幼少期の話がセッションテーマだったが、すごくいいセッションだった。何かこの幼少期を扱うのも増やしていきたいなと思う。

トランスパーソナル心理学にしても、仏教にしても、キリスト教にしても、発達とともに赤ちゃんのようになっていくという。

ウィルバーの言葉には、「内化(involution)」という言葉があるが、わたしたちが幼き頃からもっていたことに立ち返るという意味では、卒業文集も大事なエッセンスのように思う。

一期一会、文集に書かれた文章を改めて立ち返りたいと思う。

2021年1月3日の日記より
2021年6月13日

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