フォーカシングでは、フェルトセンス(felt sense)(=はっきりとした感情ではないが、なんとなく身体に感じられていて、意味が含まれているもの)があるのだが、その語源は、フェルトミーニングから来ている。
フェルトセンスは、自己の内面の身体感覚を客体化して感じ取っていくわけだが、フェルトミーニングになるともう少し広い範囲になって、身体以外にも何か場の空気から直感的に感じていることも含まれる。
内面は外面と相互作用していることから、何か場から感じることも忘れてはならない。
日本語には身体を使った慣用句が多く、語彙も多いことから、日本人は感じ取ることがうまいと言われる。
これは、表現する言葉、概念があるということで、言葉の間にあるものを、うまく表現しやすかったり、感じ取りやすいということだろう。
マインドとボディも繋がりがある。
日本語の語彙を豊かにするマインドの実践も、フェルトセンス、フェルトミーニングに実はつながる。
一方で、言語にも、プレバーバル、バーバル、ポストバーバルという段階があったときに、ポストバーバルという言語を超越したものもあるならば、そもそも言語以外で表現していくことも重要になる。
ゆえに、油絵を書く実践はその感覚を研ぎ澄ませていってくれる。
とはいえ、言語世界は広い。日本語をもっと豊かにしたいと思うとともに、日本語から脱却したい。さすれば、違う感覚も感じれるように思う。
2021年6月27日の日記より