数名、起業に向けたコンサルというかメンターというかアドバイザーというか、微力ながら、そういうことをさせていただいる。
今日は、新たに友人より、スタートアップとして起業するにあたりビジネスプランを見させていただいた。
すでに、ピッチコンテストにもいくつか申し込んでいるようで、既にアイデアがある。
既に市場に出回っているビジネスで起業するというのももちろん立派だけど、今はまだ市場に出回ってない、世にないビジネスを生み出していくっていうリスクをとるのは、本当にかっこいいなと思う。
この感覚が好きで、ベンチャー経営してた頃、将来的に起業家を支援したいと言っていたのを思い出した。
あれから、資本主義に対する嫌悪から気持ちが離れてしまっていたが、今となってはインパクト投資、株式投資型クラウドファウンディングなど、投資スタイルも進化していっている。
何か改めてだが、起業家への支援がしたいという気持ちが、今は経営者自身の発達という観点も含めて、形をかえて生まれていることを感じる。
さて、その中で、今回のビジネスプランは、発達障害者に対するアセスメントに関するビジネスプランだった。
福祉に関するビジネスは、非常に難しいが、社会的な意義が大きい。
アセスメントという観点では、今日別で組織コンサルの方と、それこそサクセッションプランなりタレントマネジメントなりでアセスメントを扱ってきた方とも対話していて、つながるところがあった。
そのため、改めて今日話していた大事なことを書いておきたい。
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複雑系という概念
どの話も、どのように認知するのか(認知論)、それはどう存在しているのか(存在論)は外せない。
中でも、改めてだが、この複雑系という概念は本当に重要に思う。
よく今の時代はVUCAと言われるが、たしかにインターネットによって確実に複雑になったのは確かだが、世の中が複雑になった側面だけでなく、もともと世の中は複雑だったことを忘れてはならない。
1人の人間とってもその生命的なシステムはいかほど複雑か。
社会学、神経学などをはじめ、科学が進歩していてきて、我々はようやく複雑系を認知できるようになってきたのだ。
アセスメントは、複雑系から簡素化したものにすぎない。
パーソナリティ心理学を中心に、類型論、特性論とあらゆるアセスメントも、人間のパーソナリティやアイデンティティという複雑系の中から、ごく一面を切り取ったものに過ぎない。
だから、アセスメントというのは便利でもありながら凶器でもある。
組織コンサルの人も、大企業の中で誰を次の幹部にさせるか、そのアセスメントを手伝うが、果たしてこのアセスメントだけで十分なのだろうか。そこからこぼれ落ちているものがないのだろうか。といつも悩むとおっしゃっていた。
これは本当にあるべき健全な悩み。
アセスメントからこぼれ落ちているものがありながらも、ただ、実の運用上はアセスメントへの引力がどうしても強い。
目に見えないものと、目に見えるものは、目に見えるもの引力のほうが強く、目に見えないものが意識から薄くなってしまう。
ゆえに、この引力自体を理解することは認識しておくことは非常に重要になる。
その上で、どうアセスメントを活用するか、アセスメントからこぼれ落ちているものをどう扱っているか、ここまで含めてアセスメントを開発するなり運用するなりする際は検討しなければならない。
量子力学とアセスメント
なんだろう。こういうのは、量子力学とかの概念も重要なのかもしれない。
物理というのは、直感と反することを理屈で受け入れる訓練でもある。
量子力学の中で、二重スリットの実験や、有名な思考実験「シュレーディンガーの猫」でも、量子の世界では我々の直感、常識では到底理解できない現象が起きている。
いかにこの世が未規定なのかを、我々に突きつけてくれる。
二重スリットの実験でいう「量子の世界において、粒子は観測されていない時と観測されている時とでは状態が変わる」というのは、人間という動的な生物に対して行うアセスメントにもそのまま同じことが言えるのではないかと思うのだ。
人間も常に変化し続けているのだから、観測されていない時と観測されている時では状態が変わる。
では、アセスメントは無駄なのかというと、もちろんそうではない。その瞬間に、その切り口においては真実である。
ある意味、フィクションでありながらリアルでもある。
この前提をおさえておきたい。
2021年7月26日の日記より