科学と宗教というと、あまりにビックワードで色んな論点があるわけだが、多くの人に相容れないと思われているが、ここでは補完関係にあるということを、具体事例をもって綴っていきたい。
宗教と科学の対立、それは露骨に口喧嘩したり罵倒し合ったりということ以外にも、思想的な違いから関心をもたないというスタンスまで、グラデーションがある。
私は、「すべて正しいが、一部に過ぎない」という信念のもと、双方に身を投じながら、宗教には宗教固有の魅力と限界点と、科学には科学固有の魅力と限界点があり、両方に居場所を与えながら、自在に活用したいというスタンスに立っている。
そのスタンスにたつと、双方は実は補完関係にあるという捉え方ができる。
その溝をうめる役割をしている1つに、脳科学を活用して宗教を研究する「神経神学」がある。
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神経神学の誕生
たとえば、仏教、キリスト教、ユダヤ教をはじめ、おおよそどの宗教においても共通している根源的な本質として、非二元(ノンデュアル)の世界観がある。
それをワンネスと読んだり、ユニティと読んだり、様々である。
それは、座禅、瞑想、祈りなどを通じて行うことが多く、あらゆるものと一体になる感覚のこと。
こういった神秘体験は、科学が重視される現代社会においては、それを信じている人は少ない。
ひどいときは、精神病院行きにされることもある。
科学者だとなおのこと受け入れない。
だが、アンドリュー・ニューバーグは、高度な脳機能イメージング技術を使って詳細に調べた。
悟り、ワンネスの脳の状態
被験者としては、フランシスコ会の修道院とチベット仏教徒。
深い瞑想状態にはいったときの脳を調べた。
すると、右の頭頂葉が著しく不活性だった。
右頭頂葉は、空間認知がされる。これにより、自己と他を分ける境界線を引いてくれる。
深い瞑想状態にはいったときに、これが不活性というのは、自己と他を区別できなくなる。
その瞬間、脳の中で。その人はあらゆるものと1つになっている。
この功績は非常に大きかった。
悟り、ワンネスという神秘体験が、精神病や神の介入としてではなく、脳機能の副生成物として初めて理解されるようになったのである。
科学と宗教の補完性
これを皮切りに、神経神学の研究者は、催眠状態、トランス状態、憑依現象、幽体離脱、臨死体験など、これまでないがしろにされていた領域に光をあてていった。
これらによって、科学者へは、経典や啓示通さぬ形だが、神秘体験、精神性、霊性への道がひらき、宗教者は、経典にある取り組みをより効果的、効率的にいきつく可能性をみせてくれる。
思いも寄らないかたちで、科学と宗教は手を取り合うことになった。
パラドックスを受容する姿勢
この事例は、ニューバーグが科学と宗教双方に身を投じて、それらをつなぎ合わせる動きをしたことにある。
どうだろうか。
仏教なり、キリスト教なり、なにかしらの信仰をしている中で、それを極めるには、その書物にあたり、そこでの教えに従い、実践を積む。
しかし、あえて、全く異なる分野へいくことが、結果的に新たな可能性を発見できることになる。
このパラドックスを受容していく姿勢が私たちに求められているように思うし、私もそういう人でありたいと思う。
2021年7月27日の日記より