先程、友人にホロスコープ占星術で、私を見ていただいた。
これが非常に面白かった。
個人的な内容については、また後ほど書くとして、そもそも占星術に関して、思うことを綴りたい。
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現代社会からみた占星術
現代社会からみると、占星術は何かないがしろにされているかのように思う。
それは、娯楽としての占い遊びと見下されたり、やもすると自由意志ではない決定論運命論を重んじる迷信だと批判されたりしている。
私はそれがどうも残念な気がして仕方がない。
私が占星術を重視しているということではなく、ものごとにはそれ固有の魅力があるということ。
占星術にあまり触れることなく判断してしまったり、多面的な解釈をされぬまま評価してしまうことに残念に思う。
これは占星術だけではない。
占い、易経、錬金術、魔術、宗教など、あまり自分に馴染みがなかったり、日本に馴染みがなかったりするものが当てはまるだろう。
あたかも怪しいものというバイアス自体にまず気付かねばならない。
現代社会から病
では、バイアスはどこからきているのだろうか。
人それぞれあるだろうが、集合的にみると、現代社会からきているといえる。
それは、合理的なもの、科学的なもの、客観的なもの、定量的なもの、目に見えるもの、そういった現代思想からくるものである。
現代社会の病は、こういった合理的なもの、科学的なものに偏りすぎている点にある。
もし仮に生まれた時代が十数世紀ならば、宗教に偏っていただろう。
いずれの時代にしても、無意識のうち、世間一般の価値観に影響を受けている。
でも、一歩俯瞰してみてみると、宗教も科学もそれぞれ固有に魅力があると同時に限界がある。
そして宗教も科学もともに人間が構築したものという点では、一致している。
科学でさえも、何かしらの前提をおいて始めており、研究方法も研究者の主観を取り除くことができない。それゆえに、人間の構築物といえる。
そう思うと、皮肉なことに、宗教を嫌う現代人が科学的なエビデンスに弱いというのは、もはや宗教を信じると同じといえるだろう。
大切なのは、そういった自分のバイアス、認知の歪みそのものに気づくことであるし、その上で、どう向き合っていくのかを問い続けることだろう。
占星術との向き合い方
その上で、占星術とどのように向き合っていくのがいいのだろうか。
これは、占星術を扱う人にも、受ける側にも問われる倫理感だろう。
去年、しいたけ占いを友人に進められ、それに関してのジャーナルでも書いたことだが、人間は意味づける生き物ゆえに、占いに対して、その観点でものごとを見るようになる。
ゆえに、あたっていると感じるし、あたっていないことであっても、そんな気がすると思ったり、潜在的には思っているのかもと解釈したり、聞き流したりする。
そう思うと、人間は意味をつくり出し、その意味によって安心感をもつ。占いとは安心感を与えるものに思う。
だが、そろそろ私自身も、この考えはよりアップデートさせていきたい。
そのためには、占星術固有の魅力とは何なのか。それに入り込み体験しながらも、同時に俯瞰的になり健全に批判していく態度をもちながら解像度をあげていきたい。
ということで、来週は友人たちと占星術とどう向き合っていくのかというテーマで対話することになった。笑
非常に楽しみである。
2021年7月11日の日記