今日HPLの探求仲間と「瞑想状態」あるいは「意識状態」について話題が上がった。
ケン・ウィルバーはこれらを
「粗大(Gross・グロス)」
「微細(Subtle・サトル)」
「元因(Causal・コーザル)」
「目撃者(観想)(Witness・ウィットネス)」
「非二元(Nondual・ノンデュアル)」
の5つにわけている。
しかし、書籍を読んでもこれらのことがいまいちよくわからないことが多い。
というのも、これ自体、なにか客観的に測れるものではなく、主観的なものゆえに、自分の体感として掴むしかない。
また、明確に「ここからはSubtleです」とあるわけでもない。
さらに状態というのは瞬間瞬間に変化し続けているものでもある。
そして、これらは言語や物質を超越したものである。
それゆえに、理解することが難しい。
このようなことから、改めて私自身の実践内容からくる実体験の感覚の言語化を試み、紐付けてみたいと思う。
また、瞑想のみならず、ボディにおいても、連動するようにGross-body、Subtle-body、Causal-bodyとあるため、このあたりにも関連させたい。
言うまでもなく、この言語化されたものは、あくまで私の認知、理解の範疇、意識の産物に過ぎないことを予め書いておきたい。
CONTENTS
グロス状態、コーザル状態とは
まずは、グロス、コーザル、サトルの3つの定義について、著書「インテグラル・スピリチュアリティ」には、以下のように書かれている。
1 粗大な覚醒状態
自転車に乗ったり、このページを読んだり、身体運動を行ったりしているときの状態。2 微細な夢見の状態
鮮明な夢、鮮明な白昼夢、視覚化の訓練、あるタイプの形ある瞑想。3 元因ー無形の状態
深い夢のない眠り、広大な「開け」ないしは「空」の体験。「インテグラル・スピリチュアリティ」P112より
よくわかりやすく教えていただくのは、グロスは起きている時、サトルは夢を見ている時、コーザルは夢をみない深い眠りの時の状態になる。
が、実際にはそれだけではないことから、睡眠以外でこの特徴に触れていきたい。
まず、グロス(粗大)とサトル(微細)のどちらも、日常経験している自然な状態である。
違いは何かといえば、字のごとく、グロス(粗大)状態は大きくて粗いものを捉えている状態であり、一方、サトル(微細)は、微細なものを感じ取れている状態である。
たとえば、瞑想の多くは微細なものを感じ取る。
目をつむり、胸に手を当てて、普段グロスの状態では感じ取れない心臓の鼓動を感じ取れる。波打つ心臓は、どんな動きをしているのか。さらに微細にみていくと、そこから流れる血の流れを感じるかもしれない。
グロスボディ、サトルボディとは
ここは、ボディとつなげるとより理解しやすくなる。
グロスボディは物質的な「肉体」のこと。
サトルボディとは、「エネルギーや精妙なシステム」のこと。
サトル(微細)は、物質的、肉体的なものに縛られるものではなく、直感、感覚、感情、欲求と密接に紐付いている。
夢見の状態と言われているのは、夢の中では物理的、肉体的なものに縛られることなく、形を変えたり、空を飛んだりできるため。
ボディの実践とつなげると、グロスボディのトレーニングは筋トレやジョギング。
サトルボディのトレーニングは、マインドフルネスや呼吸法。
(HPLのILP講座、ボディより)
とはいえ、これもわかりやすく配置しているだけで、厳密にはすべての実践において、グロスボディのトレーニング、サトルボディのトレーニングになりうる。
たとえば、呼吸法1つとっても、ラジオ体操のように手を大きく振り上げて呼吸すればグロスボディであるし、目をつむり深呼吸すればサトルボディである。
ヨガについては、一連の流れの中で、グロスからサトル、サトルからコーザルへと移っていくようになっている。
実践上の心がけ
ボディに関わる実践の中では、ランニング、瞑想、ヨガをルーティンでしているが、先程いったように、すべての実践がグロス状態、サトル状態になりうるので、常に行き来していると自覚している。
たとえば、ランニングにおいても、風を感じ、太陽の光を感じながら走ってサトルの状態に入り、サトルボディを鍛える。
コーチングセッションにおいては、非言語の情報にかなりアンテナを立てているので、ほとんどがサトルの状態にいる。
どちらかというと、実践上は、よりサトル(微細)へと心がけている。
というのも、普段暮らしていると、外からの刺激が多く、グロスの状態が多く、リラックスさせては、サトルの状態へともっていっている。
ただ、もちろんサトルの状態がということではない。
グロスもサトルもそれぞれに固有の価値がある。
今書きながら思うことは、グロスでありながらサトルの状態であることもあるようにも個人的には思う。
コーザル(元因)の状態とは
さて、難易度があがるのは、ここから。
コーザル、ウィットネス、ノンデュアル。
コーザルの状態の説明を改めて引用すると、
3 元因ー無形の状態
深い夢のない眠り、広大な「開け」ないしは「空」の体験。
字があるように「無」や「空」がポイント。
元因(Causal・コーザル)の字のように、因果の元、それは仏教でいう縁起であり空のこと。
わかりやすくは、意識がない状態。
こればっかりはわかりやすい例は夢さえみていない眠っている状態。
私自身の実体験でいうならば、ヨガの最後の5分、シャバーサナという仰向けになって寝転がる安らぎのポーズを取るのだが、この瞬間意識が飛ぶ。寝ているのか、無なのか、よくわからない状態がある。
これがコーザルの状態。
フロー状態やゾーン状態の没入した超集中状態も、時間を忘れるほど、あるいは、「ふと我に返る」というように自我を忘れるような状態も、コーザルの状態といえる。
ウィットネス(目撃者)の状態とは
続いて、ウィットネス(目撃者)の状態。
「インテグラル・スピリチュアリティ」を引用すると
4 目撃者の状態
これは他のすべての状態を目撃する能力である。たとえば覚醒状態にあっても、明晰夢の状態でも、目撃者はそれを目撃する。
これだけでは、かなり説明不足感があるので、「Integral Medeitation(邦題:インテグラル理論を体感する〜統合的成長のためのマインドフルネス論)」より引用すると
それでは、ゆったりと座り、心を落ち着かせて、今ここで、あなたが「自分(自己)」であると感じているものに、気がついてみましょう。あなたが「自分」だと考えているものに、ただ、ありのままに、気づいてみましょう。
(中略)
ここで、このプロセスには本当は「2つの自己」が関わっていることに、注意を向けましょう。ひとつは、あなたが対象(客体)として気付いている自己であり、(中略)もうひとつの自己が存在しています。
それは、こうした特徴そのものを見ている自己、こうした問いかけそのものを行っている自己です。これこそが(中略)目撃者なのです。
目撃できている自己そのものを目撃者と呼んでいるが、では自己に関することが目撃できれば目撃者の状態かといえばそうではない。
このプロセスが繰り返されると、最終的には、全ての主体が客体になり、あなたのすべての隠れた地図から脱同一化することになります。そこにあるのは、ただ、純粋な見る者、真の自己、目撃者、絶対的主観性、根源的な心の広がり、根源的な空性、純粋な自由だけなのです。
とあるように、すべて客体化していった先に残るもののことを言っている。
私の体験の中では、深い深い瞑想を行った時に入る状態がこの状態になる。
グロスからサトルの状態へ、サトルの中でもさらに深くいくと、自分が広大な空間に自由に漂う感覚になっていく。
自由で解放的。
内的な部分でいえば、今の感情にも気付くし、外的な部分でいえば、風や葉が揺れる音にも気付くことができ、絶えず絶えず生起しているものを気付く感覚。
魂(soul)とスピリット(spirit)の違い
続いて、ノンデュアル(非二元)の状態に移りたいのだが、コーザル(元因)の状態、ウィットネス(目撃者)の状態、ノンデュアル(非二元)の3つを理解するにあたり、魂(soul)とスピリット(spirit)の違いを理解することで、より理解が深まる。
これは、どの宗教においても共通の真理である。(ウィルバーの立脚点である永遠の哲学、存在の大いなる入れ子のこと)
通常日本語でいう心のことを、英語では、mind、heart、soul、spiritと使われることがある。
定義は様々だが、思考や感情レベルのことをmind、heartとよんでいる。
そして、soul、spiritとは、思考や感情といったmindやheartを超えたもの。
以前書いたスピリチュアリティの日記に書いた表現でいえば、物理、理性(言語)を超えたところのこと。
精神性/霊性(Spirituality)とは何か。サブスキル考察と、信仰(Faith)、宗教(Religion)の違い#345
そして、魂(soul)とは、個人に属するもの。
スピリット(spirit)は、世界に属するもの。
魂は、心の深い部分ないし心を超越した部分の、個としての本質。
スピリットは、個を含めた世界にある存在の基底。
仏教でいえば、魂は仏性。スピリットは空。
ヒンドゥー教でいえば、魂はアートマン。スピリットはブラフマン。
イスラム教でいえば、魂はルーフ。スピリットはマラクート。
キリスト教でいえば、スピリットは神。
中国思想でいえば、スピリットはタオ。
私は、魂のことを「聖なる自己」と神秘的な表現をしている。心の奥にある誰にも侵されることない静謐。
スピリットは何かというと、有限な世界の外にある、無限な世界のこと。
魂・スピリットと元因・目撃者・非二元の関係性
ここで状態の話に戻したい。
心や魂やスピリットといっているのは、存在論(どう存在しているのか)の話をしている。
一方、元因・目撃者・非二元は、状態の話のことをしている。
だが、それぞれが関連しており、自身の魂とつながった自己が元因(コーザル)の状態であり、目撃者(ウィットネス)の状態である。
そして、非二元(ノンデュアル)の状態は、魂とつながった自己が世界と溶け合い一体になるスピリットに対応している。
ノンデュアル(非二元)の状態とは
魂とスピリットを踏まえて、改めてノンデュアルの状態の定義を引用すると
5 常に現前する非二元的意識
これは状態というよりは、他のすべての状態に対して常に現前する基底である。そして、そのようなものとして経験される
私の実体験としても何度かあり、関連する日記としてもこのあたりがあたる。
魂とつながった聖なる自己のまま漂うと、世界とつながった感覚がある。
感覚的な境界線、区別がいつの間にか溶けているような感覚。
私の場合は、慈悲の瞑想やホ・オポノポノという祈りといった感謝の瞑想から繋がることが多い。
自分に意識を向け、自分の大切な人に意識を向け、徐々に周囲の人に意識を向け、さらには人を超えた自然に意識を向けていく。
体内は温かく、感謝の気持ちがじわ〜と広がり、世界と溶けていく感覚になっていく。
科学的アプローチ
なお、こういったことものを科学的なアプローチからも試みているものの1つが神経神学である。
脳波でいっても、
グロス状態は、ベータ波。
サトル状態は、アルファ波やシータ波。
コーザル、ウィットネス、ノンデュアルはガンマ波にあたる。
最後に
冒頭わかりやすく書きたいと思いながら、どこまでわかりやすくなったのかといえば、わからないが、何か参考になれば嬉しく思う。
そもそもこれら5つの状態を体感したほうがいいのか、というと、これだけでも色んなことがいえるのだが、幸か不幸か、善悪かをおいておき、端的にいえば、人間の真の全体性を発揮していくためには重要だといえる。
私自身も、まだまだ未知な領域だらけであるものの、赴くままに探求していきたい。
2021年12月1日の日記より