今日は、HPLのソマティック・インテリジェンスを見ていた。
ポリヴェーガル理論(多重迷走神経理論)の中で、人がリラックスには、2種類の方法があることがわかったようだ。
①ひとりでいて得られるリラックス(腹側迷走神経)
②みんなといて得られるリラックス(背側迷走神経)
この両方が必要だという。
リラックスというと、お風呂に入ったり、紅茶を飲んだり、①ひとりでやれるリラックスがすぐに思い浮かぶ。
しかし、わたしたちはみんなといるからリラックスできる神経が最初から設計されている。それは哺乳類が群れをなして守り合うから安心できるように、最初からわたしたちの身体に組み込まれたもののようだ。
ものすごく納得感がある。
わたしたちは他者に悩まされ苦しめられると同時、他者により喜び、幸せを感じられる。
では、他者と「つながる」という感覚は、どこから来るのだろうか?
最近、瞑想の実践を積み、意識の上で、精神をもってつながりを持てている感覚があるが、そもそも物理的な肉体をもってつながりを感じられることを私は少し忘れていたように思う。
今日は実家に母も父もおらず、私が90歳の祖母のお風呂に入る手伝いをして、タオル拭いたり、靴下を着せたりした。
普段、服の上からは気付かなかったが、足はパンパンにむくんでいることにびっくりして、祖母の足に触れなでた。
祖母は嬉しそうにいた。もちろん私にも。肉体的に触れることで湧き起こる嬉しさがある。
コロナの影響もあるが、それに限らず、私自身が人間関係を断捨離し、一人の時間を大事にしてきて、意識の上でつながりをつくってきた。
しかし、握手をしたり、ハグをしたり、物理的に触れ合うから、つながりを感じられることが随分減っていた。
できる部分から、こういった物理的、肉体的な触れ合いも大切にしたい。
ソマティック心理学の中で、「身体を通じて世界観が変わる」というようなメッセージがある。
というのは、何かしらの身体を通じて知覚し、認知しているため、思考ではなく、身体の感覚からはじめるのだ。
目を瞑り、様々なものに触れてみる。
机、手帳、パソコン、本棚、コップ、すべて肌触りも違えば温度も違う。
こんなことをしてると、大好きな映画「あん」の樹木希林を思い出す。
すべてのものに生命が宿り、言葉がある。
私が、「淳」という言葉に込めたありのままと出会うことは、身体を通じて、ものと触れて、出会い直せることを忘れずにいたい。
2021年12月9日の日記より